要求書
加藤学生部長殿
現在、吉田寮は私達百名余りもの寮生の生活の基盤となっております。私達は、「正常化」なるものを目的とした「在寮期限」は到底認められるものではありません。しかも、あなたがたの言う「在寮期限」は老朽化を唯一の理由として評議会決定されたものです。(しかも、人が住むのに危険なほど老朽化しているとは言えません。)従って、寮の厚生施設としての意義を考えると、私達寮生全員が移り住むことのできる新寮が完成するまでは現在の吉田寮を取り壊すべきではありません。私達は以上のことをことある毎に表明してきましたが、あなたは何ら誠実な対応をとっていません。学生部長である貴方の名で昨年7月18日付で私達の所へ送られてきた文書2では、86年3月の「在寮期限」における私達寮生の生活保障に関して何ら触れられていません。
また、新寮の内容については、私達吉田寮自治会と大学当局との間の話し合いによって決定されるべきです。しかし、あなたは私達に対し、新寮の内容に関する当局の考えを全く明らかにしていません。
また、あなたは昨年7月18日付の文書で「少数の代表者」(5名以内)との話し合いになら応じるという全く根拠のない人数ワクを持ち出してきました。学生部長であるあなたは、寮生及び寮について関心を持っている学生に対しては求められれば会わなければならない責任があります。私達は人数制限ワクを設ける根拠をどこにも見い出せません。
ここに、私達吉田寮自治会は学生部長であるあなたに対し86年3月の「在寮期限」に関する私達の生活保障を、建物の構造・管理運営権まで含めた新寮に関する全ての事柄について、人数制限ワクのない交渉を要求します。
1月16日までに回答を求めます。
85年1月9日 吉田寮自治会
加藤幹太学生部長宛の1985年1月9日付の要求書。大衆的には、ビラ「学生部長加藤は新寮建設のための交渉要求に応じろ!」(1985年1月、吉田寮自治会)で明らかにされた。これに対して加藤学生部長は、吉田寮自治会委員長宛当局送付文書(京大学厚寮第51号 昭和60年1月14日、京都大学学生部長 加藤幹太、本資料集に収録)において、「新々寮は、原則として新入生のための学寮であります」としたうえで、「人数の無制限な交渉に応ずることはできません」と回答。↩
吉田寮自治委員長宛当局送付文書(京大学厚寮第17号 昭和59年7月18日、京都大学学生部長 加藤幹太)のこと。吉田寮自治会委員長宛当局送付文書「吉田寮周辺の埋蔵文化財試掘調査について」(1984年6月30日、学生部第3小委員会)において当局が埋蔵文化財試掘調査に対して「協力を要請」した際、吉田寮自治会は、現状では調査に反対であるとして、公開の場での話し合いを求めた。それに対する返答が7月18日付の文書であり、「貴寮自治会の求めている」公開の場での話し合い」は、いわゆる団交でありますので応じることはできません」とある。↩