7・4全学集会3の大高揚を皮切りに、吉田寮廃寮阻止決戦の火ぶたは切って落とされた。当局は、1700署名の集中と、7・4全学集会への大結集に対して、これを何とか叩き潰そうと、恐る恐る7月9日、吉田寮廃寮と「新々寮」強行をむき出しにした「回答」4を出して来た。そして、矢継ぎ早やに、この夏に「新々寮」建設の為の「埋文」のゴリ押しを宣言してきた5。自治寮を獲得するか、自治寮廃寮―「新々寮」化されるかの攻防が、既に開始されたのである。全寮生に寮に残り、夏攻防に断乎決起されんことを訴える!
その理由第1は、当局は「新しい学寮」、つまり自治を否定し、個人分断、当局完全管理の「新々寮」を、なにがなんでも造ろうとしているということが、7・9学生部長回答で益々明らかになり、まさに、7・9回答に沿って強行されようとしているのが「埋文」だということである。
当局は「紛争の拠点」=自治寮を叩き潰す為に、「在期」が来たら阪大のように叩き出す6、おとなしくしていないと新しい寮の予算がおりないという恫喝と、「話し合い」はするという賺しによって、当局のペースで「新々寮」着工にこぎつけようとしているのである。
当局は、1700署名の集中と、7・4集会の高揚によって、益々あわてふためいて「新々寮」強行という意図を剝き出しにしてきた。そしてこの「新々寮」建設の第一歩が、今夏(7/24~8/9)行われようとしている、「埋文」である。「埋文」阻止は、「新々寮」化攻撃との緒戦である。
第2に、「埋文」阻止は、「紛争」の解決を急ぐ当局を窮地に陥れるものだ。当局は「埋文」を早いところ済ませて、「新々寮」にこぎつけ、「紛争」を避けようとしてる。その為に、斗争すれば寮は建てないぞ、「在期」が来たら吉田寮には住まわせないぞと、デマゴギッシュなおどしで、寮生を籠絡し、「新々寮」の前に運動総体を屈服させようとしているのだ。この思惑は、「埋文」の粉砕、「紛争」の拡大と恒常化によって打ち破られる。国―当局の至上課題、「紛争の早期解決」は当局に意に反して当局を追いつめ、当局を我我寮斗争の土俵に引きずり出すことを可能にするのだ。とりあえず当局の優位、当局の土俵で始まったやり合いを、我々の側に主導権を取り戻す斗いとして「埋文」を斗わなければならない。
第3に、「埋文」を今受け入れるということは、吉田寮廃寮―「新々寮」化へ、屈服することであり、これは、当局を泣いて喜ばしこそすれ、1700署名と、7・4全学集会に結集し寮斗争の行方に注目する全学の意に背くことになる。当局は、なによりも「紛争」を恐れ、それを抑え込もうとしている。「埋文」受け入れは、今、とりあえず当局優位の力関係の下で、7・9回答にみられる当局の居丈高な態度にひざを屈し、「紛争」を我々の側から終息させ、誰も望まぬところの当局への屈服につきすすむものだ。
7・4全学集会を吉田寮決戦の全学化の出発点とし、ここから「紛争」を拡大・長期化させることで力関係を大きく転換させ得るのである。我々は、まだ斗いを始めたばかりであり、当局の土俵をぬけきっていないからこそ、当局の土俵で「新々寮」を前提とした「話し合い」、条件交渉など拒否して、非和解性を我々の側は当局につきつけなければならない。今の段階で「埋文」を認めることは、当局に「新々寮」化へ向けてつけいる隙をつくってしまうことになるのである。
ここでの方針の誤りは、致命的敗北につながりかねない。「埋文」を今の段階で受け入れることは、斗争を当局の掌中に限定してしまい、決定的瞬間に握り潰されて、現吉田寮を失い、「新々寮」が出来てしまうという最悪の道を拓くものだ。 今夏、「埋文」は、断乎阻止しなければならない。
7月9日の学生部長加藤回答は、1700署名、そして7・4集会の大高揚に対して、より剝き出しに、より凶暴に、吉田寮廃寮―「新々寮」化という当局の本音をさらけ出したものになった。徹底的に弾劾するとともに、我々の斗いの戦略的前進を確認しなければならない、
第1に、7・9回答は文字通り「新々寮」への攻撃だ、ということだ。当局の言う「新しい学寮」とは、絶対に認めることのできない100%「新々寮」のことである。当局は、この「新々寮」をつくる為の「努力」をしているというのであり、現在の吉田寮という自治寮を完全に無視して、ぬけぬけと「新しい学寮は正規の手続きをとる者」とまで断言し、当局の完全管理であることを執拗に強調している。だから我々は、「新々寮」建設のための攻撃である、この回答を、絶対に認められないのである。
第2に、7・9回答は、学生運動―寮斗争を、当局の「新々寮」化プランの土俵に引きずり込み、寮斗争の圧殺を狙った極めて政治的で、悪質な文書なのだ。
7・9回答に、改めて「在期」は従来通りと言い、「既成事実として動かし難いもの」ということを印象づけ、さらに「在期」による送電気・ガスの停止の凶行、機動隊の乱入を想起させ、斗う主体を籠絡し、切り崩そうとしているのである。 そもそも、当局は、超一般的に大学から寮をなくそうとしているのではなく、自治と、それを担い続けている戦斗的学生運動の潮流を、なんとしても圧殺し、「紛争」を解決して「新々寮」を建てたいのである。
当局は、暴力を背景とした恫喝によって、寮斗争が戦争への道=「新々寮」を絶対に認めないという徹底抗戦の姿勢を捨てて、当局の土俵の上に引きずり込まれて解体していくことを意図しているのである。斗争が、条件斗争に歪曲されたとき、実は、この条件すら取れないで、敵の意のままにボロボロにされ、すべて失い敗北するということを知らなければならない。国の自治寮潰しは、相当の決意をもって推進されている。戦争政治にとって、最大級の課題が、自治寮と戦斗的学生運動の圧殺なのである。だからこそ、今、我我が開始したばかりの寮決戦の中で、国が簡単に新しい自治寮を認めるはずもなく、必死になって、自治を否定した「新々寮」をゴリ押しするものである。「新しい学寮」へ吉田寮をすんなり移行させるなど、今の時点で万が一にも言わないのである。
したがって、我々は「『新々寮』を粉砕して徹底的に斗うと寮が建たなくなる」「寮生は寮を必要としていないのだ」なる当局のデマゴギッシュな恫喝の脆弱な本質を見抜かなければならない。当局は斗争が長期化し大衆運動が爆発し、「粉争」が拡大することを何よりも恐れているのである。「新々寮」によって「粉争」を圧殺しようとした目論みが、もろくも崩れさるのである。「新々寮」予算こそ粉砕の対称ではないか。そして「粉争」の長期化と、泥沼化こそ、当局を疲れさせ、自治寮獲得の展望を切り拓くのである。逆に中途半端な斗い方をして「新々寮」に半ば妥協した形で運動をすすめたときこそ、当局の「話し合い」の土俵にのせられ、あるときはおどし、あるときはすかし、「新々寮」を強行して、最後に最もみじめにほうり出されかねないのである。これが、過去の当局の悪逆な手口であったし、今、その道への誘い込みが、みごとに7・9回答に見えかくれしている。つけ加えて、7・9回答の正体が「新々寮」を大前提とし、その下に力ずくで引きずり込もうとする文書であるからこそ、この延長上にある7/24―8/9「埋文」を絶対に認められないのである。「新々寮」の為の予算など粉砕するのは当然である。そして、「新々寮」を言いつつ当局がもち出す「話し合い」など、当局の土俵へのひきずり込み以外のなにものでもなく、現段階では断乎拒否である。
第3に、7・9回答は、1700署名と、7・4全学集会の大高揚に対するリアクションであり、国―当局と自治寮の非和解性をつきだした点で、戦略的大前進をとげたということである。
当局は、1700署名、7・4集会以前の我々を、意図も簡単に「在期」という暴力を背景にした恫喝で屈服させ、自治寮をあけわたさせ、「新々寮」を建てられると考えていた。ところが、この当局の思惑は、1700署名、7・4集会によって粉砕されてしまった。当局は「粉争」を恐れ、消し去ろうとして、その為に「在期」を設定し、一気にたたみかけてしまおうと狙ったにもかかわらず、「粉争」のむしろ長期化と爆発的巨大化を開始させてしまったのである。そして、そうなってしまったことへのあせりが、みごとに7・9回答に反映されている。より露骨に「在期」で恫喝し、「新々寮」の前に屈服させる「話し合い」にひきずり込む触手をのばし、内部に動揺をひきだして、それをだき込み、寮斗争そのものを飼いならして、決定的なところで大弾圧にはめ込み、つぶしてしまおうとしているのである。全国の寮斗争の歴史を識れば、この7・9回答が、そのことをあけすけに言っていることがわかる。そして7・9回答の具体的攻撃として、すぐさま「埋文」を出してきた。ここでは、繰り返すまでもなく、現段階で、結局「新々寮」をつくらせてしまうことになるような「埋文」は粉砕あるのみである。
我々が、いかに勝利をつかみ取るのか、その道程は鮮明である。当局は、我々の斗争の高揚と大衆運動に引きずられ、より攻撃をエスカレートさせ、凶暴化し、失地の回復を図ろうとしてくる。「粉争」をなによりも恐れ、それを、鎮圧しようと躍起になればなるほど、なりふりかまわぬやり方に奔り、理性を失い、誰れの目にも当局の不当性、不正義性が明らかになる。
不当・不正義を目の当りにした者は、つぎからつぎへと自治寮を支持し、ともに斗いに参加して行くことになる。徹底的に非和解的に斗えば斗うほど、当局の意に反して「粉争」が、長期化し、泥沼化し、当局は、我々の主導権の下に、我々の斗いにひきずられ、我々の土俵にのってくる。当局はいよいよ追いつめられ最後にもてる全反動を発揮して自治寮におそいかかるであろう。この頂点に達した決戦にうち勝ったとき、当局を今までのぼりつめてきたこの頂上から一気に蹴落とし、自治寮の獲得を可能にして、画期的な勝利を克ち取ることになる。
我々は、当局とやり合いながら、我々の主導権で斗いをすすめ頂点にのぼりつめる過程で、我々の側からの先制的な積極的実力デモ、占拠等の実力斗争とそれに対するいくつかの弾圧をのり越えなければならない。この試練とも言うべき弾圧は、その本質を見抜くならば、当局が斗争の高揚に引きずられ凶暴化し、もてる力をだしきってしまう過程であって、その弾圧は新たな大衆の怒りの決起をひき出し、より大きな大衆運動の爆発を実現こそすれ、なに一つマイナスには、ならないのである。
それは、時計台決戦を頂点とする京大斗争が、すさまじい当局、警察、そして武装した日共―民青との実力対決、大弾圧を非和解的に、非妥協につき進んだことによって当局を完全に疲れさせ、京大の寮斗争に画次元的な前進を実現したことによって実証されている。7
だからこそ、まず第一に、この秋の壮大な斗いを展望して、今ここで「新々寮」化を強行しようとしている当局と「和解」して「埋文」を受け入れてしまうのではなく、逆に、斗う我々の側から、我々の主導で、当局との非和解性をつきつけていかなければならない。
第二に、実力斗争が、当局との力関係を変え、決定的に情勢を促進する上で必要である。そしてこの実力斗争のすばらしさ、痛快さに、巨万の大衆が結集する実力デモで東一条を渡り、機動隊の阻止線を粉砕したときのそう快感、勝利感は大衆を限りなく鼓舞する。この秋、7・4集会を数倍するヘルメット部隊、実力部隊の創出が決定的であり、それをさらにとりまく千単位の大衆の結集が死活的である。
第三に、おくすることなく言えば、国家権力と20年にわたってすさまじいやり合いを演じ、今、三里塚二期決戦という日本の政治を、まちがいなく左右する頂点にのぼりつめた反対同盟と三里塚勢力に自ら決起し、学ぶべきである。三里塚は、今、20年のやり合いの到達点として常時、何千という機動隊と対峙し、それと、一歩もひけをとらずに斗争を永続化させてきたのである。'71年強行代執行も、'77―'78、一期強行開港阻止決戦もくぐりぬけて、さらにはげしい攻防を斗い抜いている。そしていよいよ、'85年秋、国はもてる全反動―全暴力を発動して、三里塚斗争圧殺に突進しようとしている。しかし、国は、圧倒的に不利である。そもそも、国は何度となくすさまじい暴力を発動し、圧殺をこころみていながら、その全てがことごとく失敗に終っている。あるいは、反対同盟にゆさぶりをかけ、動揺する部分を金で切り崩し、非和解的な斗いをやめさせ、三里塚斗争全体を条件斗争という国の土俵にもち込んでしまおうとする策動もすべて粉砕されてしまい、そのたびごとに、むしろ斗争は高揚し、飛躍し、この秋の頂点で国の二期攻撃をガッチリと受けとめ、それをはねかえし、国を決定的敗北させるところに今さしかかっているのである。
三里塚二期決戦勝利の為に、反対同盟の血叫びに応え決起することは言うにおよばず、二期を完全粉砕する目前にいる反対同盟に、今、我々が寮斗争を勝利させる為に学ぶべきことも無限にある。現地援農斗争を皮切りに、7・28泉佐野斗争と、三里塚の斗いにぜひ決起されんことを訴える。
7月16日に出されたビラ。吉田寮自治会は前日の総会で、当局の動向を見据えつつ移行寮建設のための埋蔵文化財調査(巻末の用語一覧を参照のこと)を実施させるという方針を決定した。翌16日にその前提条件となる3項目要求(巻末の用語一覧を参照のこと)を認めさせるべく、熊野寮自治会と合同で武内章寮小委委員長を追及したところ、その日に吉田寮内に突然まかれたもの。「在寮期限」問題に対する吉田寮自治会と熊野寮自治会の方針の決定的な分裂を示す最初の文献。↩
原資料には「熊野寮書記局」とある。↩
「「在寮期限」粉砕!新自治寮獲得!全学集会」(主催:吉田寮自治会・熊野寮自治会・室町寮自治会)のこと。↩
吉田寮自治会委員長宛当局送付文書(京大学厚寮第20号 昭和60年7月9日、京都大学学生部長 加藤幹太、本資料集に収録)のこと。↩
同日付の吉田寮自治会委員長宛送付文書「吉田寮(東)の南側敷地の埋蔵文化財確認のための試掘調査について」(京大学厚寮第21号 昭和60年7月9日、京都大学学生部長 加藤幹太、本資料集に収録)のことと思われる。↩
1970年代後半〜80年代前半にかけて、大阪大学が自治会をもつ学寮を廃寮するにあたって採用した方式を指して「阪大方式」と呼ぶ。単純化すれば、当局による入寮募集停止宣言→「宣言」後数年しての「正規」寮生の卒業・退寮→学寮の「不法」占拠規程→警察権力を導入しての学寮閉鎖という手順を踏む。この時期、沢田敏男総長、建本信雄学生部次長をはじめとする京大当局は、この強攻策で「吉田寮問題」を「解決」しようとしていた。↩
1969年1月16日よりの寮闘争委員会による学生部棟封鎖に始まる京大闘争が、様々な経過を経たのち1971年に至って71年確約(巻末の用語一覧を参照のこと)をもたらしたことを指すものと思われる。↩