京大当局は、ハリコの虎だ!

“禍”を転じて福と為せ!1

新自治寮奪取へ向けての我々の見解と今夏以降の闘いの方向性について

吉田寮自治会

86年3月の「在寮期限」まで、あと8ヶ月に迫っている。加藤学生部長は、この時点においてもなお「移行寮とはしない」という態度をとり、その一方で寮生との話し合いを排除して新寮計画を進めようとしている。これらの行為の企図するものは、確かに強硬的な態度を貫くことで、我々を「袋小路」に追いつめ、我々に危機感をいだかせることである。しかし、これだけでは一面的な情勢の見方であろう。強硬的な態度をとらざるを得ない矛盾を京大当局が持つゆえにこそ、危機感を作り出そうとしていることを、我々は見抜かねばならない。これは、とりもなおさず、次のような正しい現実把握――危機の契機と同次元のところに希望の契機を発見する中から、今の状況を鮮烈に意識化し、その上で、いまここでの実践を通じて、危機を機能転化させること――に裏打ちされたものでなければならない。

□京大当局はハリコの虎である!

京大当局の吉田寮に対する鮮烈な廃寮攻撃の背景には、根底的な二つの矛盾がかくされている。京大当局にとって都合の悪いことに、これらの矛盾は我々の斗争の高揚によって京大当局を窮地に追い込んでしまう質をもっているにも拘らず、京大当局の廃寮攻撃の原動力となっているゆえに、放棄することが出来ないでいるものである。吉田寮の寮斗争はまさに、この二点をつくものである。

(第一の矛盾)「在寮期限」そのものの矛盾である。つけ加えて「在期」到来に近づいてなお吉田寮に140人もの大量の寮生が在寮していることが、この矛盾を拡大し、京大当局を苦悩至らしめていると言える。
(第二の矛盾)「在寮期限」と、移行寮としない新寮建設との間の矛盾である。

京大当局は、80年当時、京大学寮の正常化を文部省からせまられていた。具体的には、負担区分、入退寮権、寄宿料等の解決である(2・18通達2、会計検査院通達3を参照)また、正常化とは一定離れた問題として、吉田寮の老朽化の解決、つまり建て替えの必要性もせまられていた(’79.12文部省通達4を参照)。

78年以降京大当局は、正常化へ向けて、さまざまな経済的諸権利のはく奪を狙ってきたが、寮自治会は断固としてこれを拒否した。そのため、80年12月、正常化の手段として吉田、熊野寮の入寮募集停止措置方針を決定した5。しかし、1年間の検討の結果、81年12月入停措置方針をあきらめ、これに代わる新たな方針へと転換をせまられた6。その理由は、各部局長の(ⅰ)入停措置の場合、その効果が数ヶ月の短い期間で発動し(ⅱ)強硬策と思われ(ⅲ)部局長自身が学生から追及される。という日和見的な態度から意思一致できなかったのが一つ。もう一つは、沢田総長が阪大の入停→廃寮の方針が長期化しているのをみて、(ⅰ)入停は時間がかかるので、生ぬるい(ⅱ)総長自身の任期中(再選も含めて85年12月)に廃寮に追い込みたい、と判断したことになる。


  1. 1985年7月27日吉田西寮大広間で行われた四寮会議(女子寮は急用のため欠席したため、実質的には吉田寮・熊野寮・室町寮の三寮会議)において吉田寮自治会により提出されたレジュメ。この場には、熊野寮自治会常任委員会・書記局よりレジュメ「吉田寮執行部方針を断罪する!」(本資料集に収録)も提出された。会議の経緯及びその後については、本文献末尾に収録の《補遺》を参照のこと。なお、本文献は、本資料集に収録の「1985年度前期吉田寮吉田寮全体方針(案)」の「6章 行動提起、1節 改築闘争 すなわち 今いう新寮闘争の経過の概観」及びビラ「新寮をかちとって「在寮期限」を粉砕しよう/吉田寮自治会の「在寮期限」実質化阻止へむけた二、三の基本的見解」の全文と共に、『京都大学新聞』第1939号(1985年10月16日)に掲載された。

  2. 各国立学校長宛通達「学寮における経費の負担区分について」(文大生第162号 昭和39年2月18日、文部省初等中等教育局長・文部省大学学術局長・文部省大臣官房会計課長)のこと。

  3. 京都大学総長岡本道雄宛「実地検査の結果について」(542普第279号 昭和54年9月14日、会計検査院事務総局第2局長 藤井健太郎)のこと。

  4. この時期、このような通知・通達が文部省によって出されたことはない。1979年12月3日に文部省が19大学の学生部次長を招集して、老朽寮の一掃を来年度から展開するとして改築計画の提出を求めたことを指すものと思われる。

  5. 1980年12月13日の学生部委員会での決定。

  6. 1981年12月上旬、学生部及び教養部の執行部(ないしはそれに相当する責任者)と学生部委員との間で学寮問題についての意見交換が行われた。1981年12月12日、関西地区セミナーハウス(学外)において学寮問題に関する学生部委員懇談会が開催され、前記の意見交換の結果報告を踏まえたうえで検討したところ、「単純な入寮停止案では学内のコンセンサスが得られず、入停措置実施後長期にわたって一貫した姿勢を取りつづけることが困難であるとの結論に達した」(学生部内部文書「―学寮問題―学生部委員会のまとめ 昭和56年10月〜57年9月」)