吉田寮執行部方針を断罪する!1

「吉田寮問題を考えるために」

熊野寮自治会常任書記局2

Ⅰ. なぜ「在期」決戦なのか

  1. 「在期」を粉砕することは死活的である。
    1. 「在期」とは当局が吉田寮自治会を破壊し、「消滅」させる為に加えてきた最大級の攻撃である。吉田寮自治を一挙的に奪い去る為に振り下ろされた弾圧である。
    2. 我々が、吉田寮自治会を防衛するためにやらなければならないことは、「在期」という自治破壊攻撃に対して、先制的に巨大な大衆をつくり、何千人の学生決起で学生部を実力包囲することによって、これを実質的に粉砕し、寮機能停止・法的執行措置・機動隊暴力を封じ込めることである。こうやって「在期」を正面突破することによってのみ、自治寮が「在期」という最大級の弾圧を粉砕し、それを乗り越えて存続しうるのである。
    3. だから我々は「在期」=自治寮破壊攻撃との対決を避けるわけにはいかない。これを決戦として準備し、京大斗争規模の集会・スト・実力デモ・団交と、尻上がりにエスカレートさせていかなければならない。「在期」という、自治を否定している壁を喰い破らなければ、自治寮はそこで寸断されてしまう。だから「在期」決戦は死活的なのである。
  2. 「在期」決戦を見すえ準備するならば、爆発的大衆決起は不可避である。全学総決起の条件がそろっている。
    1. 「在期」=自治寮破壊こそ、中曽根の戦争政治そのものである。
      • 戦争反対=戦後民主主義の具体的表現が学生自治である。戦後労働運動(国鉄労働運動・日教組等)とともに、学生自治が戦後40年の反戦平和の担い手であった。
      • 中曽根は、日本を戦争国家にしようとしている。防衛費のGNP比1%枠突破・SDI支持・59中業・スパイ防止法・天皇制イデオロギー攻撃、そして何よりも平和憲法の否定=改憲が具体的政治日程にのぼらんとしている。中曽根の任期中にこの準備をすべてを完了させようと躍起になっている。中曽根政治は戦争準備そのものだ。
      • 凶暴に戦争政治を進める中曽根にとって、反戦平和を言う学生自治は邪魔である。戦後民主主義を潰さずには、戦争政治は一歩も前進しないところに来ている。これが国鉄解体=国鉄労働運動潰し攻撃であり、日教組解体=教育改革攻撃であり、学生自治の破壊である
    2. 吉田寮「在期」=自治破壊は京大を丸ごと戦争政治に引きずり込み、果ては学生を再び戦争に動員しようとする攻撃である。
      • だから「在期」決戦は吉田寮の問題ではなく、京大全学の行く末を左右する重大な岐路である。吉田寮「在期」決戦の敗北は、全京大生から戦後的・民主的権利と自由をはぎ取り、戦争へ向けた動員が開始されてしまうのだ。
      • 従って、全京大生は自らが戦争に反対して、自治を守るのか、自治破壊を許し、戦後民主主義が蹂躙されるままにして規則とイデオロギーにがんじがらめにされて戦争に動員されていくのか、主体的判断がせまられているのだ。
      • 圧倒的規模の京大生は、自らの権利と自由が国家権力によって蹂躙されて、戦争に仕向けられることを拒否する。ここに、吉田寮「在期」を巡って未曾有の大衆運動の爆発が不可避となるのである。全学総決起情勢が、確実に実現されるのである。
      • 一切は、この自治破壊、戦争政治の事実を、いかにリアルに全京大生かにかかっている。ブルジョワイデオロギーに屈せず、事実を暴露できる主体的力量にかかっている。

Ⅱ. 当局は、「在期」決戦の爆発を恐怖し、それを回避するために「新寮」をエサにして吉田寮を釣ろうとする。

  1. 当局にとって決戦が爆発すれば、まず敗北は確実である。

    京大学生がMo.が、’69年1月を前後して、寮問題を一つのテコとして、大爆発し、千単位、万単位の学生が動き、当局を包囲して、寮斗争・学生運動の圧倒的勝利を納めた3ことを見れば、明らかである。

  2. 当局は、「在期」決戦を不発に終わらせようとしている。なしくずし的に廃寮に持ち込もうとしている。こうなったら、我々の負けである。当局は、そのママに、「在期」をもって、目いっぱいに恫喝し、「在期は動かせないもの」という「在期」の既成事実化を学生の側に植え込もうとしている。「在期」を焦点化させないために、この「在期」が、あたかも鉄壁であるかのように虚勢をはり、我々を「在期」という壁の前にひざまずかせようとしている。
  3. 「新寮」は「在期」決戦をやらせない為のエサである。

    なによりも悪質なことには、「在期」によって恫喝し、うき足立った者を、「在期」決戦から引き離し、「新寮」というエサをもち出してここに釣り上げて、「新寮獲得斗争」にすりかえてしまおうという筋書きがあるのである。

    そもそも、「在期」=吉田寮廃寮を事実として受け入れたところから、「新寮獲得」などという話が、ふってわいたのである。「在期」の前に屈服した者に対して、当局があたかも寮生との「話し合い」で寮建設をすすめるかのようなポーズを取り、寮生を籠絡して、「在期」決戦を不発に終わらせるのが目的である。その後には、当局は意のままに新々寮建設がすすめられる。

  4. 「新寮獲得斗争」には、全学決起の条件などない。つまり「在期」決戦のように、決戦とはなり得ないのである。

    なぜなら、寮生自らが、自治破壊―戦争政治と対決し、「在期」を粉砕する斗いに起ち、弾圧に抗して斗う主体たり得ないのならば、ここで出て来る「新寮獲得」は、単に、吉田寮生の「もの取り要求」でしかなく、全京大生の主体的決起は決して克ち取れない。せいぜい、ささやかな同情をあつめるだけだ。

    「新寮獲得」をそれとしてかかげるかぎり、吉田寮生の孤軍奮闘むなしく、尻すぼみにMo.は収束し、決戦はなく、自治寮をみすみす潰してしまうことになる。

    全学総決起は、全京大生に等しく、主体的判断が問われ、自らの問題となったときのみうまれるのである。

Ⅲ. 吉田寮方針の「新寮獲得」は、当局の思い通りに「在期」決戦を破壊する為のものだ。吉田寮自治を当局に売り渡して「在期」決戦から逃亡するために、「新寮決戦」を絶叫する許し難い方針だ!

  1. 吉田寮方針は、中ソネの戦争政治と対決して、吉田「在期」決戦に起ち、吉田寮自治を防衛する斗いから逃亡している。

    「在期」の恫喝と、決戦の重圧に屈し、うちひしがれ、これとの対決を回避し、斗争を放棄してしまったのである。自治寮の防衛を投げ出した吉田寮方針は、もはや、寮斗争ではない。

  2. 吉田寮方針は、自治寮防衛を、投げ出していることを姑息にも隠ぺいする為に、当局の新々寮化プランにのりかかって、当局といちゃつき、「話し合う」ことを寮斗争と称している。全くのペテンだ!

    「新寮獲得」は、まさに「在期」決戦から逃亡するための口実以外のなにものでもない。

    吉田寮方針は、「新寮」の必要性の根拠を「在期」に置いている。「在期」に既に完全にまいってしまっている為に、それが中ソネのすさまじい戦争政治であることを、百も承知でありがながら、それを受け入れ、そこを根拠に「新寮獲得」は言うはめになっている。

  3. 自治防衛を「在期」決戦から逃亡して放棄しているから、吉田寮方針の言う「新寮」は、国家の学生支配の新々寮4条件4を完全粉砕する展望をを最初から喪失し、新々寮の枠での、条件斗争を公言してはばからない。

    今日、「埋文試掘」が、新々寮プランそのものと知りながら、受け入れ、自治を売り渡してでも、「新寮」への移行をはかろうともがいている。

  4. 「在期」決戦の爆発こそ、全京大生の未来を切り拓く唯一の道である。国家の学生支配と対決する決戦である。

    ところが、吉田寮の逃亡方針は、全京大生の決起を裏切り、全京大生を中ソネ戦争政治の前にさし出し、それによって自分だけ何とか生きのびようとする、卑劣極まりないものだ。

    国―当局が用意した「新寮」というエサに喰いつき、当局の自治破壊、学生支配に、全面的に協力するものである。


  1. 1985年7月27日に吉田寮西寮大広間で行われた四寮会議(女子料は急用のため欠席したため、実質的には吉田寮・熊野寮・室町寮の三寮会議)において熊野寮自治会側より提出されたレジュメ。この場には、吉田寮自治会よりレジュメ「“禍”を転じて福と為せ!」(本資料集に収録)も提出された。会議の経緯及びその後については、本資料集において「“禍”を転じて福と為せ!」の末尾に収録した《補遺》を参照のこと。

  2. 原資料には、「熊野寮―常任C書記局」とある。

  3. 1969年1月16日、寮闘争委員会による学生部棟封鎖によって京大闘争は開始され、様々な経過を経た後、個別寮問題に関しては、71年確約(巻末の用語一覧を参照のこと)という形で勝利を収めた。

  4. 巻末の用語一覧を参照のこと。