学生部は、従来からの「基本方針」2に沿って新しい学寮の実現に向けて検討を重ね、まず新営候補地(現吉田東寮敷地内の南側空地)における工事施工の可能性を探るための埋蔵文化財調査実施3に努力を傾注してきた。
学内関係者の努力と協力の結果、この調査の第一段階である試掘の実施計画(調査機関 7月29日〜8月9日)が確定し、7月29日から調査を実施することとなっていた。
しかし、7月29日早朝から熊野寮自治会の一部学生が、「『埋文』実力阻止、『在期』決戦勝利」を唱え、2日間埋蔵文化財研究センター玄関前に、引き続き吉田東寮敷地内に座り込む等し、学生部委員の再三の説得をも受け入れず実力阻止行動を続けた4。加えて、7月31日には吉田寮自治会からも調査延期方の申し入れがなされる等の事態が生じ、平穏に発掘調査を実施し得ない状況になったため、8月2日この調査を断念せざるを得なかった。
この事態は、昭和61年3月31日の吉田寮在寮期限を目前に控えた現在、新寮建設のために努力を傾注してきた学生部にとっては極めて遺憾な出来事である。
昭和60年8月12日
1985年7月29日〜8月9日に予定されていた吉田寮敷地内の埋蔵文化財調査が中止されたことを受けて出されたもの。『京大広報』No.297(1985年9月15日)に掲載。↩
巻末の用語一覧を参照のこと。↩
巻末の用語一覧の「埋蔵文化財調査」を参照のこと。↩
背景として、本資料集収録のビラ「埋蔵文化財調査を実力阻止せよ!」(7月16日、熊野寮自治会書記局)、「吉田寮執行部方針を断罪する!」(7月27日、熊野寮自治会常任委員会・書記局)、事実関係として、同じく本資料集収録の「1985年度吉田寮自治会全体方針(案)」(1985年9月13日、吉田寮自治会執行委員会)の「6章 行動提起/1節 改築闘争 すなわち 今いう新寮闘争の経過の概要」などを参照のこと。↩