吉田寮自治会は13日に寮生大会を予定していたが、その開始直前に熊野寮生数名が、会場に乗り込み討論を要求した。彼らは吉田寮生の説得にも応ぜず居座り続けて言い合いを続け、そのため寮生大会の開催は不可能となった。
寮生大会は15日に延期されたが、その開始後1時間して、彼らは再び議場侵入を図り、議事を著しく妨害した。
これは明らかに自治の侵害であり、我々吉田寮自治会は、断固とした意思をもってこれに抗議し、彼らの反省を促すものである。
9月13日寮生大会直前に常任Cを含む熊野寮生数名が「共に寮闘争を斗う者だから討論に参加させろ!」と要求してきた。
彼らの主張はこうである。
「今回の吉田寮の方針案は新々寮を承認したものである。これがこの寮生大会で採択されると全学の寮闘争を困難にし、京大に新々寮が建ってしまう。よってそのような意思決定の場で共に寮闘争を行う者が発言できるのは当然のことである。」
また彼らの立場を問うと、「共に寮闘争を闘う者だ」を中心に、「熊野寮生だ」「個人である」「常任Cであるが全寮的コンセンサスはとれていない」等、あいまいに答え、我々としては常任Cを含む熊野寮生有志の個人的行動ととるしかない。
さらに議長団が5分間のアピールを認めたにもかかわらず、彼らは討論させろと言い続けた。
延期された寮生大会は9月15日9時に開催されたが、9時50分議事進行中に、彼らは議場に侵入しようとした。そのため議事が30分にわたり停止した。更に彼らは、11時頃まで、議場外からヤジをとばしたりした。彼らの主張は13日のものと何らかわらないものであった。また彼らはそれについて、吉田寮生と個人的に話そうとした。寮生対寮外生の討論は、寮生大会の範疇を越えており、別の場ですべきものである。
寮生大会とは、寮生が共に吉田寮に住む者という、同じ立場を前提として討論を行い、自治会としての意見、活動方針を決定する場である。しかるにその寮生大会の場に熊野寮生という異なった立場にある者が参加し、討論するということは、意思決定を混乱させる以外の何物でもない。これは自治破壊とみなされて当然の行為である。又、彼らは共に闘う寮生という点を強調しているが、京大寮闘争において、四寮一致を大原則としながらも、それぞれの事情に従い、時には違った行動もとってきたのは、過去の闘争を見て明らかである。立場が異なることはこの点を指しているのである。それを無視する者と自治について論ずる必要はない。
以上当然のことだが、寮生間の討論の場である寮生大会の前、そして後に他者の批判を受け入れるのは当然である。それは、自治会間の会議の場で行われるものである。我々は彼らにそれを表明し、今後も広く意見を求めるが、寮生大会においては断じてそれが認められないのは上述のとおりである。
我々吉田寮自治会は彼らの行動に対し、上記判断を下し、繰り返し抗議し、反省を促す。
85年9月17日 吉田寮自治会
1985年9月17日付の吉田寮自治会の声明。2枚綴りのビラ「吉田寮自治会方針は“新々寮全面拒絶方針”である!」(1985年9月16日または17日、吉田寮自治会、本資料集に収録)の2枚目の裏に印刷されている。なお、この中での時間に関する記述は全て午後である。ちなみに、これに言及したビラとして、「沢田当局の自治寮閉鎖攻撃に呼応した権力の走狗中核派の新自治寮獲得闘争の破壊策動を許すな!(1985年9月、学生会議)がある。↩