1985年9月26日(在寮期限まであと186日)
9月10日、「バリスト実行委」を名乗る学生の一群が、教養部構内を朝から正午まで門を閉ざして封鎖し、午前中予定されていた期間外試験をことごとく中止に追い込んでいった。これだけならば、吉田寮自治会がことさら言及すべきことではないが、しかし彼らが「吉田寮生の在寮期限叩き出しを許すな」を主張し封鎖したともなれば、吉田寮自治会として、9月10日のバリストに対して態度を表明する必要があると思う。
前置きとして、最初に確認しておきたいことは、「バリスト実行委」が個人・有志の集まりにすぎず、何ら吉田寮自治会とも6月の署名運動とも関係ないということである。そして、その主張も、吉田寮自治会の「新自治寮獲得、在寮期限実質化阻止」の方針とは、まったく縁のないこと。さらに事実として、吉田寮自治会の正式な会議(寮生大会、各寮総会)で一度もバリストについて討議したことはなく、むしろ多くの吉田寮生は当日登校して初めてバリストを知ったほどである。このことを確認しておきたい。
本題に入ろう。9月10日の教養部バリストは、実際におこなわれたものであり、これに関して見解を述べよう。この際、バリストを「実行行為としてのバリストの意味」と「今回のバリストに至った主張」というように、「一般」と「個別」に分けて考えたいと思う。
京都大学がギマンの府であり、ギマンの象徴が単位であり、それを司る祭祀が教官であり、単位が「高級労働力商品」たる京大生のJIS規格になっている、とはよく言われる話だ。しかし一方で、「高級労働力商品」たる京大生の資質の評価が年々企業の間で疑いの色を濃くしており、その原因がカンニングにあるかどうかは推測の域を出ないとはいえ、少なくとも京大当局は資質低下に頭を痛め、“資質改良のため高等教育の充実を!”と「大学院大学」の構想をねっているのは事実だ。そのような「親の心」を京大生は知らず、あいかわらず、京大に入学したことで無限の可能性を獲得したかのようにふるまい、それが資質の低下と共に意識としての差別性を顕在化させている。バリストが行われた京大とは、まずこのような状況であることを押さえてほしい。
一方、京大においてストライキというのもは「告示4号2」によって公式には存在しないことになっている。しかし学生大会でストライキが決議されると、大学は休講を掲示し、あくまでも大学側が主体的に授業を休講したように見せかけて、公式には「学生のストライキは京大においては存在しません」という見解を固持する。このようにして京大では「ストライキ」が発生するのである。
しかし学生大会を経ずに、一部の学生が構内を封鎖してストライキを執行したらどうなるのか?学生大会でストが決議されるのならば、それは決議内容に反対の学生まで拘束して当該学部(教室)の規則に基づいた意思表現として広く認められることになる。しかし、学生大会を経ないストライキは、全体の意思表現ではなく、一部の実行者の意思表現としてしか認められないだろう。
この一部の実行者の意思表現をどう評価するか、が問題である。
ここで、先の京大の状況を思い出してほしい。バリストを行えば、当然それに故なく拘束される学生が出現する。その学生と行為としてのバリストの関係が、先の状況下にある京大生自身の存在意味と存在位置を問う関係になるようなバリストの主張がなされるのならば、バリストは討論のきっかけとなってよいのではないか。きっかけが実を結ぶとき、かつて「無限の可能性」や「就職天国京大生」と思っていたものが、実は生産価値によっておしはかられるヒエラルキー化された「人的資源」の一つの序列にすぎなかったことを知るに違いない。そして、京大生が良い悪いという価値判断以前に、そもそも京大生の位置がこんなものでしかなく、嘆いても喜んでも、この地点からしか始まらないことも知るであろう。
しかし、このような京大生としての位置をまったく問わずしてバリストが執行されるのであれば、どんな課題や主張を掲げようともそのようなバリストは〈京大〉でバリストをする動機づけに欠ける。〈バリスト〉という言葉でいっしょくたにくくられるようなバリストならば、京大でなく、どこの大学や工場その他でやってもよいバリストでしかない。ストという意思表現を目的とするなら、はじめに述べたように、学生大会を経てストライキを執行すべきであり、拘束される学生の存在を無視したバリストは、結果として一部の学生の行為としか映らない。
以上、行為としてのバリストはどうあるべきかについて述べた。
「バリスト実行委」の主張は多岐にわたっている。しかし、吉田寮自治会として責任を持って意見を述べられるのは、「バリスト実行委」の主張のうち、吉田寮「在寮期限」問題に関する部分だけである。さて、「在寮期限」に関して「バリスト実行委」の諸君は「叩き出しを許すな」と述べ、白紙撤回を要求している。これは先にわれわれが結論づけたように既に3「攻防点ではなくなっている」ことではないか。ゆえに「バリスト実行委」の「在寮期限」に関する見解はわれわれの見解とは異なるものである。
つぎに、9月10日のバリストは、教養部での学生大会(代議員大会)を経ていないから教養部全体の意思表現ではない。
では、バリストと京大生との関係が、京大生の存在位置をするどく問うようにバリスト自体の主張がなされたのだろうか?これについては「追い出すの追い出さないの」という現在の攻防点とは関係ないことをアジっているとはいえ、過去の事実にさかのぼって82年の評議会決定のありかたを不当と主張することで、京大自体の問題点を切開する萌芽を含んでいる。しかし吉田寮「在寮期限」問題についてはそれ以上のものは見られないではないか。なぜならばバリスト後の教養部は何事もなかったかのように日常性を取り戻し、多くの教養部生の意識においても吉田寮「在寮期限」問題は自らと関係のないものとなっている。
京都大学吉田寮自治会 85年9月26日
1985年9月26日付のビラ。教養部バリスト実行委員会が「〈Ⅰ〉大学当局の問答無用の寮つぶし絶対阻止!バリスト貫徹 〈Ⅱ〉寮決戦勝利!中曽根打倒!三里塚二期決戦勝利!国鉄労働者と連帯して闘うぞ!高麗大の学生の占拠闘争に連帯して闘うぞ!」というスローガンのもと9月10日に行った教養部バリケード・ストライキに対する見解の表明。「9・10教養部バリケード封鎖宣言」(1985年9月10日、教養部バリスト実行委、本資料集に収録)も参照のこと。
本文献は、ビラ「新寮をかちとって「在寮期限」を粉砕しよう/吉田寮自治会の「在寮期限」実質化へむけた二、三の基本的見解」(1985年9月26日、吉田寮自治会、本資料集に収録)及びビラ「全学のみなさん吉田寮自治会です/4項目要求に注目してくれ!」(初版は1985年9月20日付、吉田寮自治会)と共に綴られて一緒に配布されたらしい。10月1日付の執行委員会レジュメによると、「バリストが行われたのは9.10、もう3週間経過した。総会でこのビラを検討したのは1週間前。「執行Cは何をやってるんだ」という不満が一回生からでてくるのは当然。このビラは早急に出すことに意義がある。10.7までにCに撒かねばならない。Cの試験休み中は、学部生にまいたり、教官のポスト入れをする。ビラの日付は検討した日(9.26)先回の「4項目要求に注目してくれ」ビラもほとんどまいていない。一緒にまこう」とあり、また10月3日付の総会レジュメにはビラを「今日から撒くことによって、10月期の学内情宣を開始する」とある。