1986年2月3日
先日1月20日、教養部構内において、熊野寮生福島君が、革マルの手により後頭部を鉄パイプで殴打され虐殺されるという事件が起きた。我々吉田寮自治会は、この事件を満腔の怒りをもって糾弾し、以下のとおり我々の考えを明らかにする。
福島君は、熊野寮自治会委員長2として我々吉田寮自治会とともに京大寮闘争を担ってきた。こうした熊野寮生福島君に対する虐殺行為は、熊野寮・吉田寮両自治会の寮闘争の前進を阻む行為であり、さらに寮自主管理を破壊するものである。我々は今回の熊野寮生福島君虐殺を断固糾弾する。また、いかなる寮自主管理への破壊行為も許さない
今回の事件の際、警察権力=川端署は、捜査を名目に教養部に機動隊を導入し、教養部に封鎖検問体制を引いたうえで尚賢館3などに押し入った。また公安刑事が教養部から出ていく一人一人を呼び止め聞きこみをした。これは明らかに今回の事件を口実にした大学の管理強化を狙う警察権力の介入であり、大学における学生自治を破壊する行為に他ならない。さらに、京都府警は、マスコミを通じて「今回の事件が吉田寮問題に関係した内ゲバ事件」というデマキャンペーンを流布させている。我々はこの様な警察権力の横暴を決して許しはしない。
総長西島の事件後の記者会見でもわかるとうり、京大当局は今回の事件をテコとしてさらなる学内管理強化を狙っている。特に熊野寮・吉田寮に対しては、寮自治への介入を図ってくるだろう。我々は当局の寮「不正常」キャンペーンを粉砕し、寮自主管理を貫徹する中、学内治安管理強化と断固として闘っていく。
以上のことを明らかにした上で、吉田寮自治会は、これからも寮闘争を最先頭に立って闘い、さらなる寮自主管理の深化・発展を克ちとっていく決意をここに明らかにするものである。
1986年1月20日の事件に関する吉田寮自治会の公式声明。吉田寮自治会としては事件についてしばらく態度表明を行っていなかったが、ビラ「2☆3正午ヨリ「在寮期限」粉砕!新自治寮獲得!時計台前大集会へ集まろうっ」(1986年1月30日、吉田寮自治会、本資料集に収録)の中の文言についての追及が中核派によってなされた際に、同時に、この問題について立場を表明していないことも問題とされた。その結果吉田寮自治会が2月3日に表明したのがこの声明である。詳しい経過は本資料集収録の2月2日付の自己批判の注釈を参照のこと。なお、ビラ「暴かれた「2・3時計台前集会」の正体」(マルクス主義学生同盟中核派京大支部)も参照のこと。
ちなみに、本声明はもっぱら中核派に対する配慮として出された性質上、「糾弾」すべき対象である配慮として出された性質上、「糾弾」すべき対象である革マル派に対してはむしろ秘匿されたようである。その傍証として、1988年7月1日に中核派と革マル派の間に衝突が起こった際、同日開かれた総会において配布されたレジュメに本声明が添付されていたが、同レジュメは総会終了後、執行委員会によって回収された。↩
1981年当時↩
昼間、中核派が常駐していた。↩