全ての学友諸君!
ついに「2・3時計台集会」の正体は全面的に明らかとなった。昨日3、吉田寮執行部の諸君に対する我我の追求によって、吉田寮問題を党派的延命の道具にしようとする赤ヘルの「2・3時計台前集会」にかけた思惑が白日のもとに暴露されたのだ。
我々の止むにやまれぬ追求は、「2・3時計台前集会」を訴える吉田寮自治会のビラに起因するものであった。このビラで何と吉田寮自治会は、突如として「差別・抑圧と闘う諸団体との連帯・共闘」を呼びかけるという大それたことにふみ込みはじめたのだ。
一体、自治会として政治闘争にとりくむことを一貫して否定し、逃亡し続けてきた連中が何故にいまごろ「連帯・共闘」と口にしはじめたのか。その意図はあまりにもはっきりしている。それは、寮斗争における自らの裏切りを隠蔽するためであり、吉田寮問題をダシに党派的に延命せんとする赤ヘルの策謀である。
我々の追求に対して、吉田寮執行部は、自らの自治会の陰謀的引き回しを隠蔽し続け、「吉田寮自治会として決めたことだ」と寮生をツイタテにして醜悪な言い逃れを続けようとした。が、我々の追求と説得をとおして、「全国連帯共闘」なるものの正体が全寮生に明らかになるに及んで、執行部の言い逃れは完全に粉砕された。
ペテン的陰謀的やり方で寮生をたぶらかし、裏切りと転向の道にひきずりこむ執行部の醜悪なやり方は完全に暴露された。
さらに重大なことは、こうした追求の中で、さらに決定的事実が暴露された。それは、「2・3時計台前集会」への全国学寮、「大学再編と闘う団体」「差別・抑圧と闘う団体」への招請状においては、「国内再編・大学再編に抗する全国的連帯共闘」なる位置づけは何ひとつふれられていないことだ。何と執行部じゃ、寮生をペテンにかけ、自治会をひき回すだけではあきたらず、今度は、全国の闘う人民をもペテンにかけ、ひき回し、自己の党派的延命のダシにしようとしていたのだ。吉田寮自治会を私物化し、吉田寮をダシに使って全国の闘う人民をたぶらかし、己れの薄汚い延命の具に供しようというのだ。何という腐敗した連中か!
そもそも寮自治会を売り渡した連中が呼びかける「全国寮集会」とはなにか? 1・20カクマルによる福島君虐殺に対してただひとり沈黙を続け、虐殺者カクマルを擁護し、日共の「内ゲバ殺人キャンペーン」=政府・当局への弾圧要請に抗議の声すらあげぬ「自治会」とはなにか。そのような自治の内実で全国の大学といかなる共闘をつくろうというのか!自治会として差別・抑圧とのたたかいにとりくむことを一貫して拒否してきたものが、「寮闘争で連帯していく」4などと、被差別・被抑圧人民の闘いとの「共闘・連帯」を語るとは、何たる利用主義か!
赤ヘル・執行部の手によって、実に吉田寮自治会は、転向と腐敗の道へと引き回されてきたのだ。ことは、2・3時計台前集会の「連帯・共闘」なる位置づけを撤回したり5、カクマルに対する一片の抗議声明をアリバイ的に出す6ことですむ問題ではない。
「全国的連帯共闘」云々の主謀者を我々は断じて許さない!いまや、すべての闘う吉田寮生にとってうち倒すべき敵は鮮明になった。自らのセクト的延命のために、吉田寮自治会を転向の道にひきずり込もうとする輩を、断固処断せよ!実に悪らつな政治的立廻りを続けながら、己れの陰謀的悪業に何ひとつ責任をとらず、寮生をツイタテに逃げ回る卑劣漢を許すな!吉田寮問題をネタに、全国の闘う人民をたぶらかし、転向運動を組織しようとする赤ヘル・一部政治ゴロに断固たる制裁を!
いまや、すべての心ある学友の進むべき道は明らかだ。代大(学大)―ストをもって、寮闘争の大学闘争としての爆発をかちとる勝利の道を拒否―敵対し、大衆運動の爆発なき「全学団交戦」に逃亡し去った連中の破産は、CL団交拒否7によってこの上なく明らかとなった。残念ながら成立さ る8ことはできなかったが、1・31C代大に結集した全C二〇〇の力に、敵は震え上がっているのだ。当日、機動隊バス11台をさしむけた異常な弾圧を見よ!
新たな京大闘争の爆発は開始された。2月評議会粉砕闘争に総決起せよ! 中曽根の戦争国家化と体を張ってたたかう三里塚、百二十名の報復処分をうちやぶる第二波ストに突入せんとしている動労千葉に連帯して闘おう! 2・25三里塚全関西集会へ!
1986年2月3日ないし4日に出されたと思われるビラ。吉田寮自治会は1986年1月30日付で「2☆3正午ヨリ「在寮期限」粉砕!新自治寮獲得!時計台前大集会へ集まろうっ」(本資料集に収録)というビラを出した。このビラの中のある部分が中核派の追求するところとなり、結局、吉田寮自治会は2月2日付で自己批判(本資料集に収録)を行った。それでも不十分であるとして更なる追求が行われ、吉田寮自治会は2月3日付で声明「熊野寮生福島君虐殺糾弾」(本資料集に収録)を出した。しかしそれでも不十分であるとして出されたと思われるのが本文献である。↩
原資料には単に「中核派」とあるが、内容より、革命的共産主義者同盟全国委員会ないしマルクス主義学生同盟中核派の本部レベルの文責ではなく、京大レベルの文責であると編集部の責任において判断した。↩
これが2月2日の深夜とすれば、本文献は2月3日に出されたことになる。しかし追求は3日の未明にかけても行われたので、あるいは本文献は4日に出されたのかも知れない。詳しい事実経過については2月2日付の自己批判の解題を参照のこと。↩
この文言は1月30日付のビラの中にはない。中核派による要約か、あるいは追求の過程でこのような発言があったものと思われる。↩
*1で言及した2月2日付の自己批判をさす。↩
*1で言及した声明をさす。↩
全学団交実行委員会の機関紙である「全学団交通信」第2号(1986年1月31日)には、「緊急報告 1.30発」として、「C.L両学部長団交を拒否」とある。なお、教養部ではその後も団交は実現できなかったが、文学部においては2月22日から23日にかけて団交が実現し、確約を獲得した。↩
テクストでは、この部分は、かすれているというより一字分完全に空白になっている。文脈から「させる」であると思われる。↩