四棟撤去延期をもとめる申し入れ書

吉田寮自治会

四棟撤去延期をもとめる申し入れ書

学生部長河合隼雄殿
学生部委員各位

吉田寮は、東寮、西寮各々1913年、1925年に建てられたものです1。東西寮共に築後60年以上を経ており、老朽化は我々寮生にとって深刻な問題となっております。我々は吉田寮老朽化の抜本的改善策として、十数年前より吉田寮の建て替えを要求してきました。そして改築がなるまでは、現寮が維持され補修が行われることが当然であると考え、その如く要求してきました。

しかるに学生部は、寮の現状を一方的に「不正常」と決めつけ、その制裁措置として、寮の補修を殆ど行おうとしていません。学生部の補修サボタージュによって、現寮の老朽化はますます深刻な問題となっています。

さて今回の吉田西寮四棟撤去を巡る問題についてですが、我々は四棟が老朽化によって極めて危険な状態にあることを認めることにやぶさかではありません。四棟は元来一階の壁土がなく柱のみで他の棟に比べ老朽化の進行が顕著でありました。

しかしながら四棟が今日人が住めなくなる状態を招いた責任は学生部の補修サボタージュにあるのです。時の流れによる自然的老朽化は否めないのですが、長年にわたり補修を怠り、老朽化に拍車をかけてきた学生部の責任は重大なものがあります。我々はこのことを全く捨象して四棟問題を論じることができないと考えます。

7月初めに学生部の方より我々に対し四棟撤去の申し入れがありました2。その際我々は四棟撤去に対し以下の3項目を当然の条件として提示しました。

  1. これまでの吉田寮への補修サボタージュを自己批判せよ
  2. 自己批判の実質化として吉田寮の補修を今後誠実に行え
  3. 老朽化の抜本的改善策としての新寮建設の具体的プログラムを示せ

然るに学生部委員会は我々と交渉の会議を一度も持つことなく、しかも我々の意向を全く無視して四棟撤去を8月上旬と決定しました。学生部から申し入れがあった時点で我々は四棟問題について学生部と話し合う用意をしており、現に話し合いを7月22日に持つという約束がなされていました。ところがその22日「昨日の学生部委員会で決定された」と突然一方的に通告されたのです。その決定理由は「建築物老朽化に伴う学生部の管理責任」のみであったと伝え聞いています。しかも「四棟は廃棄物だから寮生と話し合う必要はない」との意見が出されたとも聞きます。

我々はこの決定を認めることはできません。以下その理由を述べます。まず決定理由の不当性が挙げられます。ここには四棟の老朽化に対しなんらの措置もしなかった学生部の責任の問題が一切論じられていません。寮をつぶす「管理責任」はあっても寮を補修する「管理責任」はないとでもいうのでしょうか。そして第二に「寮生と話し合う必要などない」との認識のもとに決められた決定であるということです。四棟が「廃棄物」であるか否かは話し合いの上で決めることです。その上四棟がたとえ「廃棄物」であったとしても、その処置は寮自治会と話し合い、合意の上で決めることです。ここに見受けられるのは結局のところ学生の意見など聞かなくてもよいとの態度なのではないでしょうか。我々の2項目要求署名(1, 吉田寮に関することはすべて寮自治会をはじめとする学生と話し合え。吉田寮自治会の合意なき一方的決定をするな。2, 入退寮権をはじめとする寮自治会の諸権利を侵害するな。)に応じてくれた900人の人々の意志をどう考えているのでしょうか。

そして我々はこの様な一方的かつ不当な内容の決定の裏に、ある意図が隠されているのではないかと感じざるを得ません。それは今回の決定が「管理責任」を楯にとっての吉田西寮一棟・二棟、さらには吉田東寮に対する強行手段への布石ではないかということです。寮の建物が廃棄物かどうかは学生部が決定する。しかもその処置も学生部が決定する。寮生・学生の意見は聞かない。このような「論理」をもって、今後吉田寮の廃寮を進めていこうとする意図のもと、今回の決定がなされたと我々は推測せざるを得ません。

思うに学生部委員会は学生の意見を聞き、それを大学の運営に反映していくことにその存在の意義があるのです。間違っても大学当局の決定を学生に押し付ける機関ではないのです。今回のような決定はこの学生部委員会の存在意義を否定するものであり、首の皮一枚でつながっていた学生と学生部委員会との信頼関係を完全に断ち切ってしまうものです。

学生部委員会の決定が吉田寮への強行手段の布石としてなされたと考えていないならば四棟撤去の日時を当面延期し、我々吉田寮自治会と話し合うべきです。意見の相違をこのまま力で押し切ろうとするならば事態はますます悪化の一途をたどるでしょう。警察権力の導入などもってのほかです。

学生部長、学生部委員は自らの職務を遂行すべきです。四棟撤去を当面延期し、寮生と合意がなされるまで話し合うことを重ねてもう知れます。

1988年8月2日
吉田寮自治会

編集部による註釈

1988年8月2日、「京都大学学生部委員会」宛に吉田寮が速達扱い・配達証明付き書留郵便で送付したもの。8月3日に配達された。

これにもかかわらず8月3日午後5時頃、牧山等厚生課長より、翌日午前に取り壊しを行う旨電話で吉田寮に通告があった。当日夜の総会で吉田寮自治会は、バリケードを構築して少なくとも4日の解体工事は実質阻止し、学生部長もくしは寮小委を追及していくことを決定した。4日の学生部側との話し合いの結果、住友寮小委委員長名の確約の獲得と引き換えに吉田寮自治会はⅣ棟の撤去に応じた。詳しい経過はビラ「爆笑「河合の定理」粉砕す!」(1988年、吉田寮自治会、本資料集収録)を参照のこと。なお、当時、西寮にはⅠ棟・Ⅱ棟・Ⅳ棟の3棟が存在し、寮生はⅠ棟及びⅡ棟にのみ居住し、老朽化のはなはだしいⅣ棟は1985年4月の居住放棄以降はバンドの練習などに使用されるのみであった。


  1. 吉田東寮は1913年に建築されたが、吉田西寮は京都織物工場の寄宿舎として1920〜1923年に建築され、1954年より京都大学の寄宿舎として転用されたものである。

  2. 7月13日、住友寮小委委員長・八木寮務掛長の寮名が訪れ、申し入れを行った。