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全学の学生・教職員の皆さん。去る8月4日、吉田西寮第Ⅳ棟が取り壊された。我々吉田寮自治会はこの間の経過と我々の立場をここに報告したい。
吉田西寮は建築後60年以上経過し、当局が長年補修を怠ってきたため老朽化が著しい。その吉田西寮の中でも、第Ⅳ棟は一階が吹抜けという構造のせいもあり最も老朽化が激しかった。そのため我々はやむを得ず85年4月にⅣ棟の居住を断念した。(一部の部屋は使用していた)その後老朽化がいっそう進み、近年Ⅳ棟の建物自体が非常に危険になったため、建物自体を封鎖した。そもそも我々がⅣ当の居住を放棄せざるを得なくなったのは、学生部当局が補修を怠ってきたためである。しかも当時において既に老朽化が激しかった吉田西寮に対する抜本的解決策としては新寮建設しかなかったが、学生部は前向きに取り組んでこなかった。7月上旬、学生部から非公式にⅣ棟倒壊の危険性を考慮し、次の3条件を提示して取り壊しについての話し合いに応じようとした。
吉田寮への入寮希望者は年々増加し、現在吉田寮は150人という近年最高の寮生を抱えている。我々は以前から学生部に対し、寮の必要性を訴え、新寮建設とそれまでの現寮の補修を要求してきた。にもかかわらず補修を怠りⅣ棟の居住を不可能にしてしまった学生部の責任は大きい。これを自己批判し、我々の要求に応えることが学生部の当然の責務である。
ところが7月22日、学生部側との話し合いに臨んだところ、学生部側が「21日の学生部委員会で、Ⅳ棟を8月上旬に撤去することに決定した。」と一方的に通告してきた。
我々はこの6月、学生部に対し、
という2項目からなる要求書を堤出し、誠実な回答を求めてきた。そしてこの要求を全学の声とすべく、6・7月期に、「吉田寮の廃寮を許すな!2項目要求署名」運動を展開し、900名もの署名を集めた。今回の決定は、我々の要求に賛同する900名の学生の声を無視したものであり、82年12月の「在寮期限決定」、86年2月の「入寮募集停止」決定と同様に寮自治会を無視したものである。我々は学生部に、この決定を撤回し、寮生・学生と話し合うまで取り壊しを延期するよう要求した。しかし学生部は、学生部委員会の決定を覆すことはできないとし、話し合いに応じなかった。我々は、寮生・学生のほとんどいなくなる夏休みを狙った、このような決定を許すことはできない、話し合いがもたれない限りⅣ棟撤去を延期することを要求する申入書2を学生部委員全員に送付した。
学生部は話し合いに応じず、8月4日午前8次ごろ西寮にやってきて、強引に執行しようとしてきた。我々は実力で学生部職員、教官、業者らを西寮にいれず、Ⅳ棟を取り壊させなかった。学生部側は同日午前10時ころ、強制執行は無理とみたのか、話し合いに応じると言い出してきた。そこでただちに、学生部長、河合隼雄ら学生部側4人と、寮生との間で話し合いがもたれた。
話し合いの中で学生部側は「建物の管理責任は学生部にあり、Ⅳ棟は廃棄物であるから、寮生と話し合う必要はない。」などと主張した。これに対して我々は「我々は吉田寮を自主管理しており、寮の建物であるⅣ棟の問題については我々と話し合う必要がある。」「Ⅳ棟が廃棄物かおづかも寮生と話し合って決めるべき事項である」「人が住んでいないから大した問題ではないというが『在寮期限』執行・寮機能縮小という意味で、我々は大問題だと思っているのだ。」と学生部を批判した。そして(前述の)3条件が満たされない限り撤去に応じるわけにはいかない、との立場を表明した。
そして学生部側より、
という文書をかち取った。この後、我々はⅣ棟取り壊しに同意した。(8月4日から6日までの3日間かけて、Ⅳ棟は取り壊された)
我々は、Ⅳ棟と同じような、補修サボタージュ→老朽化・居住放棄→取り壊し、という手段でなし崩し的に寮機能を縮小し、廃寮に追い込もうとする学生部の目論見を暴き、断固糾弾する。そして寮の補修をさせ、新寮を建てさせるため、我々はこれからも大衆的実力闘争で闘っていく。我々の今後の運動に注目・支援・連帯を!
(8.4の話し合いの中で)
寮生:Ⅳ棟は廃棄物だから処理について寮生と話し合う必要はない、と言うが、空き缶などゴミの処理だって寮生と合意の上で処理しているんだぞ。
河合:小さい廃棄物の処理は話し合って決めるが大きい廃棄物の処理は話し合わなくてもよい。これは「河合の定理」と言ってもよい。
寮生:大きいものこそ話し合うべきではないか。それにⅣ棟が廃棄物などと寮生の話も聞かずに決められないはずだ。そもそも人が住めない状態になってしまったのは誰のせいだと思ってるのか。
(こうして「河合の定理」は葬り去られたのであった。)
昭和六十三年八月四日
吉田寮自治会殿
京都大学学生部委員会
第三小委員会委員長
住友則彦