吉田寮問題について1

学生部長 河合隼雄

本学は吉田寮問題について、その解決に力を注いで来たが、昭和61年3月の在寮期限到来後も引き続き寮運営の正常化を図るとともに、老朽化の根本的解決として、新寮建設に向けての努力を傾注してきた。

しかし、昭和63年度に入っても事態は進展せず、特に新寮建設については、具体化するまでにはさらに時間を要すると判断せざるを得ない状況に至った。

本年3月末に、在寮期限到来以前に入寮を許可されていた寮生の最短卒業年現を迎え、今後も引き続き現状のまま放置することは許されない事態となったため、何らかの解決を図る必要があると判断し、学生部長として現時点において最も妥当と思われる次の3点からなる基本案を立てた。

  1. 老朽化のはなはだしい西寮については、学寮としての使用を停止し、撤去する。
  2. 老朽化の比較的進んでないと判断される東寮については、建築専門家の判断が得られるならば2補修することによって、西寮の居住者も可能な限り入居できるようにし、入寮禁止措置を解除する。
  3. 入寮者は、入寮届を堤出し、寄宿料を納付する。

上記の考えを、昭和63年11月7日学生部長と吉田寮生との公開の話し合いの席上にて提示した。

その後、同年12月7日、平成元年1月12日および13日の計4回にわたる学生部長との話し合い並びに第3小委員会(寮小委)、学生部職員との頻繁な話し合いを通じて、具体案を検討してきた。その結果、本年1月24日学生部長と吉田寮自治会との間に、大筋として合意が得られるに至った。

合意に達した事項は以下のとおりである。

  1. 東寮の補修を行う。
  2. 西寮代替スペースとしてプレハブ(倉庫)を設置する。プレハブの取扱いに関しては寮小委を通じ、吉田寮自治会と話し合う。
  3. 現寮の補修を行ってこなかったこと、及び今回設置するプレハブが西寮代替スペースとして不十分であることを認め、今後も寮機能の回復、維持、発展に努める。その抜本的解決策として新しい寮の建設に努める。
    また、新しい寮の内容に関しては、寮自治会と話し合いのうえ決定する。
  4. 「在寮期限」の執行の責任者として次のことを行う。
  5. 西寮撤去を理由とする吉田寮職員、就労者の削減を行わない。職場の保障を本人の意向にそった形で行う。
  6. 吉田寮自治会は、以上のことが実行されるのを確認した後、1989年3月31日までに西寮から東寮への移転を完了する。具体的な西寮撤去の期日については、寮小委を通じ話し合いのうえ決定する。
  7. 1989年4月以降、在寮者名簿の提出、及び寄宿料の支払いを毎月初め、一括して行う。
  8. 寮自治会と確認した以上の諸点に関して、学生部長名文書に記述し次期以降の学生部長に引き継ぐ。
  9. 今後も継続して、学生と公開の場での話し合いを行う。他の更生施設に関しても、当事者と話し合うことなく一方的な決定を下さない。

これらの合意事項は、吉田寮自治会の要求事項3に対する学生部長名の同自治会宛回答書4の内容であるが、平成元年1月24日開催の本学評議会において学生部長が吉田寮問題の解決案について報告し、了承された。

さらにその後、今後のことについて同年2月16日の学生部長と吉田寮生との公開の話し合いによって、上記回答事項に加えて次の事項5を追加することとした。

  1. 吉田寮自治会と学生部長とが必要に応じて、公開の場で話し合いをもつことが望ましい。
  2. 1982年12月14日の評議会において決定された吉田寮の「在寮期限」に関して、その執行が完了したことを認め、今後、「在寮期限」を吉田寮に対して執行することは一切ない。
    総長に、上記の件を評議会の議題として堤出し、議決された上で、このことを文書によって全学に表明するよう、学生部長として責任をもってはたらきかける。
  3. 新しい寮の実現について努力するように、総長にはたらきかける。

吉田寮は以上の経過を経て新しい局面を迎えることになる。今後とも各位のご理解、ご協力をお願い申し上げる次第である。

平成元年2月


  1. 学生部長名全学公開文書。1989年2月付だが、実際には3月に入ってから出されたもの。

  2. 建築専門家の判断は、川崎清・工学部教授により、「吉田東寮の建築耐用性に関する所見」(1988年12月、本資料集に収録)において得られた。

  3. 1989年1月23日付要求書、本資料集に収録。

  4. 同日付、本資料集に収録。

  5. 同日付の河合学生部長による確約の内容。