年表

* 1985〜89年4月については詳述するよう心掛けたが、それ以外の時期については簡略なものとした。なお、集会の参加者などは京都大学新聞の報道・主催者発表・主催者内部レジュメなどを参考に、原則として最も少ない数字を採用した。

1889年

第三高等学校寄宿舎建築。
1897年
6月18日 京都帝国大学創立。
9月11日 京都帝国大学学生寄宿舎開設。
13日 京都帝国大学開講。
1898年
8月 第三高等学校寄宿舎、京都帝国大学学生寄宿舎に転用。
1905年
12月 学生寄宿舎一時閉鎖。
1906年
1月 学生寄宿舎再開の告示。
2月5日 学生寄宿舎再開。
2月10日 学生寄宿舎入舎式。
1911年
6月29日 大学当局、学生寄宿舎移転を発表。
1912年
2月10日 学生寄宿舎解散式。
7月15日 学生寄宿舎閉鎖。
1913年
9月11日 学生寄宿舎(後、吉田寮と呼ばれる)開設。
10月1日 学生寄宿舎開舎式。
1959年

吉田西寮開設。
女子寮開設。
1962年
7月25日 学徒厚生審議会答申「大学における学寮の管理運営の改善とその整備目標について」。
1964年
2月18日 文部省通達「学寮における経費の負担区分について」(2・18通達)。
8月 「◯◯大学学寮管理運営規制(参考案)」(◯管規)、文部省により作成。
1965年

熊野寮開設。
室町寮開設。
1969年
4月21日 文部省通達「大学内における正常な秩序の維持について」(4・21通達)。
12月20日 淺井健次郎、学生部長に就任(〜71年9月30日)。
1971年
2月22日 吉田寮自治会・熊野寮自治会、淺井学生部長と団交。吉田寮・熊野寮の委員会が入寮選考を行い合格者の氏名を京大新聞に発表する方式に同意する確約(71年確約)。
3月8日 吉田寮自治会・熊野寮自治会、淺井学生部長と団交。2月22日の確約の再確認。
6月11日 中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」。
10月1日 川又良也、学生部長に就任(〜73年1月15日)。
1973年
1月16日 坂本慶一、学生部長に就任(〜74年4月30日)。
1974年
5月1日 山本常信、学生部長に就任(〜75年6月30日)。
1975年
7月1日 西島安則、学生部長に就任(〜76年8月16日)。
9月4日 文部省通知「国立学校学生寄宿舎の維持管理について」。
1976年
8月16日 坂本慶一、学生部長に就任(〜77年4月22日)。
1977年
4月22日 巽友正、学生部長に就任(〜78年4月21日)。
1978年
3月7日 京都大学国有財産取扱規程制定(3・7規定)。
4月20日 文部省通知「学園における秩序の維持などについて」(4・20通知)。
4月22日 沢田敏男、学生部長に就任(〜79年8月1日)。
5月19日 沢田学生部長、引き継ぎ確認の場において、団交拒否・確約破棄を宣言。
7月19日 沢田学生部長、吉田寮・熊野寮との団交の場に機動隊導入、団交破壊。これ以後、83年1月28日まで学生部団交行われず。
1979年
8月1日 翠川修、学生部長に就任(〜80年8月1日)。
9月14日 会計検査院、岡本総長に対し、吉田寮・熊野寮について「占拠状態」と規定、炊ふの人件費・水光熱費の大学負担を「予算の適正な執行とは認められない」と指摘。
10月27日 岡本総長、会計検査院に対し回答。
12月3日 文部省、19大学の学生部次長・厚生課長を招集して老朽寮改築計画の提出を求める。
15日 熊野寮自治会、後任炊フ補充をめぐり学生部を追及。学生部、機動隊を導入し、暴行があったとして被害届を提出(→12・15弾圧)。
16日 沢田敏男、第20代総長に就任(〜85年12月15日)。
1980年
1月10日 「学寮における当面の諸問題に関する学生部の基本的な方針」(学生部長 翠川修)、吉田寮・熊野寮の寮生に送付。79年度入退寮者を明らかにし、在寮者名簿を提出するよう要求。2月1日付京大広報にも掲載。
22日 前年12月15日の「暴力事件」を口実に熊野寮生2名逮捕。
2月3日 前年12月15日の「暴力事件」を口実に熊野寮自治会委員長逮捕。
16日 京大新聞紙上に吉田寮・熊野寮79年度入寮者を発表。
6月1日 京大新聞紙上に吉田寮・熊野寮80年度入寮者を発表。
30日 厚生補導施設改善充実に関する調査研究会報告「国立大学における厚生補導施設の改善充実について」。
7月10日 「在寮者の確認及び寄宿料の納入について」(学生部長 翠川修)、吉田寮・熊野寮の自治委員長に送付。
8月1日 藤原元始、学生部長に就任(〜81年10月16日)。
10月31日 「在寮者の確認について」(学生部長 翠川修)、新聞発表によって明らかにされた79・80年度入寮者に送付、「大学としては、現在、あなたを入寮者として認めておりません」。
「寄宿舎入寮について(ご依頼)」(学生部長 翠川修)を親元に送付、「ご子息とも連絡のうえ、在寮の届け出に応じるよう貴殿のご協力をお願いします」
12月13日 学生部委員会において、吉田寮・熊野寮に対し、入寮募集停止措置の方針で望むことを決定。
1981年
2月15日 「吉田寮熊野寮の現状と問題」(学生部長 藤原元始)、京大広報に発表。
4月6日 学生部委員会、入寮募集停止措置方針を再確認。
15日 京都地裁、12・15弾圧(1979年)の3被告に懲役7〜10月、執行猶予2年の判決。
7月14日 在寮者確認に応じなかった寮生に「寮生と認めることはできません」と通知。
10月1日 「吉田寮熊野寮に関するその後の経過」(学生部長 藤原元始)、京大広報に発表。
12日 学生部委員会、入寮募集停止措置方針を再確認。
16日 北川善太郎、学生部長に就任(〜82年10月15日)。
12月12日 学生部委員懇談会、入寮募集停止措置方針を放棄、基本方針を策定して全学の方針とすることを決定。
1982年
3月23日 学生部委員会、在寮期限設定―新寮建設―入寮停止の具体的措置を定めた学生部長メモを承認。
5月31日 学生部委員会、「本学における学寮管理の正常化と老朽寮の問題は、放置しえない状態にいたっている。これをすみやかに解決するため、新寮の建設を含めて、学寮の正常化を実現していくことを本学の基本方針とする」との「基本方針」を決定。
6月14日 学生部委員会、「基本方針実施のための措置」として、「在寮期限を定め、のち在寮期限にあわせて新寮を建てる。なお、在寮期限の到来に先立って入寮停止措置をする」と決定。
22日 部局長会議、学寮問題を審議。
28日 部局長会議、学寮問題を審議。
7月6日 部局長会議、学寮問題について、今後部局長懇談会に切り替えて審議することを決定。
13日 部局長懇談会、学寮問題を審議。
20日 部局長懇談会、学寮問題を審議、「基本方針」を了承。
8月9日 寮小委、吉田寮の在寮期限を86年3月または85年3月、熊野寮の在寮期限を87年3月または86年3月と設定することを決定。
9月 「本学の学寮問題について」(学生部長 北川善太郎)、発表(実際の発表は10月12日)。「基本方針」及び在寮期限方式を初めて全学に明らかにする。
10月16日 神野博、学生部長に就任(〜84年3月31日)。
12月14日 評議会、「吉田寮の在寮期限を昭和61年3月31日とする」と決定。決定に先立ち、評議員であった淺井健次郎・理学部教授、「老朽化か、それとも正常化か。老朽化を理由とするなら賛成します」と発言するも学生部長は否定せず。
抗議行動に駆け付けた吉田寮自治会・全学自治会同学会のデモ隊が時計台2階から突き落とされ、8名が重軽傷を負う。
12月15日 「学生寄宿舎をめぐる問題」(総長 沢田敏男)京大広報に掲載、在寮期限設定の理由に正常化が付け加えられる。
12月 「学寮問題について全学の皆さんにうったえる」(学生部長 神野博)、発表。
1983年
1月25日 文学部長団交。服部文学部長並びに水津・前文学部長が確約。
28日 吉田寮自治会、第1回神野学生部長団交。
2月3日 教養部長団交。渡邊教養部長・西村評議員が確約。
4日 文学部長団交。服部文学部長が確約。
5日 理学部長団交。山口理学部長・淺井評議員が確約。
7日 吉田寮自治会、第2回神野学生部長団交。12月文書の自己批判・撤回、学寮経費の負担区分に関して話し合いの合意なき一方的決定はしない旨の確約。
工学部長追及。佐藤工学部長が確約。
10日 教養部長団交。渡邊教養部長が確約。
14日 吉田寮自治会、第3回神野学生部長団交。
神野学生部長、前回の確約を破棄すると言い残して逃亡。
25日 農学部長団交。深海農学部長、確約。
4月15日 「会計検査院に不当な「指摘」をさせない全学集会」開催、集会後デモを行い、時計台2階に上がって抗議文を総長に手渡す。総長、機動隊導入。
5月18日 早朝、吉田寮・熊野寮に機動隊乱入、4月15日に時計台二階に上がったことをもって「建造物侵入」として3名逮捕、1名指名手配。緊急抗議集会開催、集会後学生部棟へデモ隊が入ると当局は入口の扉を閉じて機動隊を呼び2名を「建造物侵入」で逮捕させる。機動隊に抗議した寮生1名が「公務執行妨害」で現行犯逮捕される(5・18弾圧)。
6月7日 5月18日の「建造物侵入」に対して寮生1名逮捕。
9日 4月15日の「建造物侵入」で指名手配されていた寮生1名が逮捕。
12月 「学寮問題について ―その後の経過―」(学生部長 神野博)、発表。「教育の府たる大学において望む所ではありませんが強制的な措置に至ることも止むを得ない」。
1984年
1月12日 熊野寮自治会、他3寮に無断で負担区分の支払いを行う。
18日 京都地裁、前年5月18日の「公務執行妨害」に対し、懲役4月執行猶予2年の判決。
2月22日 吉田寮自治会、寮生大会にて2月分より負担区分の支払いに応じることを決定。
4月1日 加藤幹太、学生部長に就任。
1985年
1月9日 吉田寮自治会、加藤学生部長に対し「要求書」提出、団交要求。
11日 吉田寮自治会、施設部・寮務掛を追及。
12日 吉田寮自治会、音楽サークルまわり。
13日 吉田寮自治会、大阪大学清明寮(新々寮)を見学。
14日 加藤学生部長、1月9日の吉田寮自治会の要求書に回答、「新々寮は、原則として新入生のための学寮であります」とした上で団交拒否。
17日 吉田寮自治会、14日の回答を弾劾するビラ。
23日 吉田寮・女子寮自治会、女子寮守衛補充について寮務掛を追及。
24日 京都地裁、5・18弾圧の「建造物侵入」に対し、1名に懲役4月、3名に3月、執行猶予各2年の判決(控訴断念)。
28日 吉田寮自治会、寺田・村松・長谷川寮小委を追及。
2月15日 吉田寮自治会、寺田・村松・武内寮小委を追及。
21日 「1・24判決を許さな!廃寮・移転を闘う全学集会」(呼びかけ:吉田寮自治会・全学自治会同学会)、法経5番教室にて約90名の参加。小倉利丸・富山大学教官が講演。
3月26日 女子寮守衛1名定年退職、吉田東寮の守衛1名が後任に配置転換。
27日 在寮者確認。
29日 将来計画検討委員会、第一次答申。
4月 吉田西寮Ⅳ棟居住放棄。
8日 吉田寮自治会、寮務掛を追及。
9日 吉田寮自治会、寮務掛を追及。
27日 武内寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
30日 武内寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。埋蔵文化財調査への協力を要請。
5月4日 吉田寮自治会、約30名の参加で武内寮小委委員長を追及。武内寮小委委員長、「強行手段に訴えるような事態にならないよう努力」と確約。
5日 吉田寮総会、「在期」完全粉砕(評議会での「在期」撤回決議)方針を転換し「在期」実質化阻止(「在期」後、現吉田寮生が全員新寮に移行できるまでの暫定的延期)方針を確認。
6日 吉田寮自治会、加藤学生部長に対し「要求書」を提出。後、10日までの間に上杉・木村・菊池・廣田・中西・万波・武内・鴫原の8学生部委員を追及。
7日 吉田寮自治会、上杉・万波寮小委を追及。
8日 吉田寮自治会、菊池・中西学生部委員を追及。菊池寮小委、「強制的手段で寮機能を停止することのないよう、第3小委において努力」と確約。
9日 吉田寮自治会、廣田寮小委を追及。
10日 吉田寮自治会、鴫原学生部委員を追及。
15日 吉田寮自治会・京都大学新聞社、連名で国立大学の学寮60寮に対し「全国学寮アンケート」を送付。
吉田寮自治会、西川埋蔵文化財研究センター長に電話。埋蔵文化財調査を妨害する意志はないことを伝える。センター長は文書提出を要請。
16日 京大新聞紙上に吉田寮・熊野寮・室町寮の入退寮者氏名発表。吉田寮入寮者は女子1名を含む64名。これにより在寮者確認が親元になされることが予想されるので、それに応じない旨吉田寮自治会から連絡を行うことにする。
17日 吉田寮自治会、埋蔵文化財研究センター長に対し「申し入れ書」を提出。同センターの運営協議会、吉田寮付近の埋蔵文化財調査を決定。
18日 吉田寮祭(〜26日)
22日 吉田寮新寮獲得委員会第1回会議。
6月4日 吉田寮自治会、三項目要求を掲げた「「在寮期限」後吉田寮生の生活保障と新寮に関する話し合いを要求する全学署名」開始。署名の内容を知らせる立て看板、学生部により撤去。18日に再び出すも即日撤去。
5日 在寮者確認。
10日 医学部学生大会、医学部動く会提出の「新たなる自治寮を獲得しよう」を保留。
26日 臨時教育審議会、第一次答申。
7月1日 吉田寮寮生大会、入寮後3ヶ月に満たない1回生の選挙権・議決権を認める議案を採択。
4日 「「在寮期限」粉砕!新自治寮獲得!全学習会」(主催:吉田寮自治会・熊野寮自治会・室町寮自治会)、教養部正門前にて約230人の参加。女子寮、全学自治会同学会などからアピール。終了後、約150人にて学内デモ、三項目要求についての約1700名分の署名を学生部に提出。
9日 加藤学生部長、吉田寮自治会委員長宛に回答及び「吉田寮(東)の南側敷地の埋蔵文化財確認のための試掘調査について」を送付。
10日 吉田寮寮生大会、寮祭会計・共同会計細則改正を採択。
12日 吉田寮寮生大会、84年度後期総括を採択。
15日 吉田寮自治会、総会において埋蔵文化財調査実施受け入れを決定。
16日 吉田寮自治会・熊野寮自治会、合同で武内寮小委委員長を追及。寮小委委員長、吉田寮自治会への文書提出を確認。
熊野寮自治会書記局、ビラ「埋蔵文化財調査を実力阻止せよ!」を吉田寮内に配布。
17日 吉田寮自治会・熊野寮自治会、2寮会議。議論は平行線。
18日 吉田寮自治会、武内寮小委委員長を追及。16日の確認に基づき「在寮期限到来時の寮生の処遇については諸般の状況を勘案し慎重な配慮を以て対処すべき」との確約を得る。
21日 吉田寮自治会、武内寮小委委員長を追及。更なる文書提出を要求。
23日 熊野寮自治会常任委員会書記局、吉田寮総会への介入を試みる。
27日 吉田寮自治会・熊野寮自治会・室町寮自治会の間で3寮会議(当初は女子寮を加えて4寮会議の予定)が吉田西寮大広間にて吉田寮生約60名、熊野寮生約20名、室町寮生2名の参加。吉田寮自治会より、「“禍”を転じて福と為せ!/新自治寮獲得へ向けての我々の見解と今夏以降の闘いの方向性について」、熊野寮自治会常任委員会・書記局より「吉田寮執行部方針を断罪する!」のレジュメが提出される。会議は決裂。
28日 吉田寮総会、埋蔵文化財試掘調査受け入れを確認。
熊野寮ブロック会議、埋蔵文化財試掘調査実力阻止を確認。
29日 埋蔵文化財試掘調査(〜8月9日(8月3日・4日は除く)の予定)。
熊野寮自治会常任委員会書記局5名、埋蔵文化財試掘調査を実力阻止。
30日 吉田寮自治会、武内寮小委委員長を追及。「新寮完成時には現吉田寮生の希望者の全員が入寮することのできるよう努力」との確約を得る。
吉田寮寮生討論会、埋蔵文化財試掘調査断念の方針。
31日 吉田寮全寮総会、埋蔵文化財試掘調査断念の方針を確認。寮小委に対し調査中止の申し入れ。
8月 吉田寮自治会、共同拠金値上げ。
1日 加藤学生部長、熊野寮自治会委員長宛に埋蔵文化財試掘調査実力阻止行動に関し「警告」。
熊野寮自治会常任委員会・書記局、警告文弾劾声明、吉田寮自治会も学生部に電話で抗議。
2日 熊野寮自治会、阻止行動解除。
加藤学生部長、「吉田寮敷地内埋蔵文化財試掘調査について」を吉田寮自治会委員長宛に送付、調査断念を通告(配達は翌3日)。
12日 「吉田寮敷地内埋蔵文化財をめぐる問題」(学生部長 加藤幹太)、発表(実際の発表は10月16日)。
9月1日 朝尾直弘、学生部長に就任(〜86年9月16日)。
2日 文学部1回生4組で闘争委員会結成。
「在寮期限」白紙撤回・中曽根内閣打倒を掲げた「総決起集会」(主催:熊野寮自治会)、教養部正門前にて80名の参加。大阪市立大学志全寮、文学部1回生4組闘争委員会、1回生闘争委員会、農学部自治会農学舞踏総委員会、教養部闘争委員会、三里塚・芝山連合空港反対同盟の鈴木幸司氏からアピール。
3日 理学部1回生2組で「在寮期限」反対のクラス決議。
5日 熊野寮自治会、「在寮期限」問題に関し佐野教養部評議員・武内寮小委を300名以上の参加で追及。
10日 教養部バリスト実行委員会「<Ⅰ>大学当局の問答無用の寮つぶし絶対阻止!バリスト貫徹! <Ⅱ>寮決戦勝利! 中曽根打倒! 三里塚二期決戦勝利! 国鉄労働者と連帯して闘うぞ! 高麗大の学生の占拠闘争に連帯して闘うぞ!」をスローガンとして教養部バリケードストライキ。全学総決起集会、教養部正門前のて160名の参加。
11日 奥田教養部長、前日のバリケードストライキに対し「警告」。
13日 11日の警告に対し「逆警告」。
吉田寮自治会、寮生大会を予定するも熊野寮生の介入により流会。
15日 吉田寮寮生大会、翌16日にかけて、85年度前期全体方針を採択。熊野寮生の介入行われる。
17日 吉田寮自治会、熊野寮生による寮生大会への介入に対し声明「我々は自治の破壊を認めない!」採択。
20日 吉田寮自治会、四項目要求を朝尾学生部長に提示。18日との説も。
26日 吉田寮自治会、ビラとして「新寮をかちとって「在寮期限」を粉砕しよう/吉田寮自治会の「在寮期限」実質化阻止へむけた二、三の基本的見解」及び「9月10日教養部バリケードストライキに対するわれわれの見解」確認(実際の発表は10月)。
30日 吉田寮寮生大会、炊事部方針(赤字埋め合わせ)を採択。
10月8日 教養部バリケードストライキ。
11日 文学部学生大会、「自治寮防衛! 吉田寮在寮期限粉砕!」を含む85年度前期方針を採択。
12日 文学部ストライキ(〜18日)。
14日 教養部バリケードストライキ。
管孝行氏の講演会「大学と学生の変遷にみる戦後民主主義の歩み」{主催:吉田寮自治会、後援:京都大学新聞社}、吉田西寮において約100名の参加。
23日 吉田寮自治会、四項目要求を発展させ五項目要求を発表。
24日 吉田寮自治会、本部正門前座り込み開始(〜11月13日)。座り込み突入集会、約90名の参加。全学自治会同学会、全学救対から緊急特別アピール。熊野寮有志らからのアピール。集会後、学内デモ。五項目要求署名開始。
将来計画検討委員会、第2次答申。
25日 吉田寮生3名、時計台2階記者クラブにてアピール。
朝尾学生部長、吉田寮自治会委員長宛に座り込みに関し通告文送付。
26日 沢田総長名で座り込みに対し退去命令、警察の見守る中、職員によって座り込みテントを強制撤去。
本部時計台前において緊急抗議集会、70名の参加。
「吉田&熊野寮生交流会」(主催:交流会実行委員会)、90名の参加。
28日 吉田寮自治会、「テント再建座り込み再突入集会」。
朝尾学生部長、吉田寮自治会委員長宛に座り込みに関し通告文送付。
医学部学生大会、定足数に満たず不成立。
医学部動く会から「吉田寮廃寮に反対」が提案。
29日 吉田寮自治会、万波・木村・西村寮小委を二十数名の参加で追及。
30日 沢田総長名で座り込みに対し退去命令、警察の見守る中、職員によって座り込みテントを強制撤去。緊急抗議集会。
31日 吉田寮自治会、畳3枚で座り込み再開。
11月1日 吉田寮自治会、ドーム型山岳用テントで3回目の座り込みに突入。
吉田寮自治会、教養部クラス入りなどで、五項目要求を掲げた「「在寮期限」後の吉田寮自治会の存続と新寮に関する話し合いを要求する署名」開始。
吉田寮自治会、朝尾学生部長に11月7日の「寮問題を考える全学討論集会」への参加を要求。
2日 テント撤去。
5日 吉田寮自治会、座り込み再開(畳なし)。
吉田寮自治会、寮小委追及。集会後、学内デモ。
6日 朝尾学生部長、「寮問題を考える全学討論集会」への参加拒否を回答。
7日 吉田寮自治会、座り込みに畳導入。
赤ヘルをかぶった中核派革命軍、教養部E号館にて革マル派と衝突。
「寮問題を考える全学討論集会」(主催:吉田寮自治会)、法経5番教室にて100余名の参加。
8日 吉田寮自治会、畳のみの座り込み。
11日 畳撤去。
13日 「在寮期限撤回 全評議員追及 新自治寮戦取 大集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて200余名の参加。全学自治会同学会、理学部共闘会議・理学部団交実行委員会、文学部学友会、北海道大学恵迪寮自治会、山形大学学寮自治会、横浜国立大学蒼翠寮自治会、大阪大学宮山寮・鴻池寮元寮生、同志社大学大成寮自治会、女子寮有志、室町寮自治会から連帯アピール。集会後、約150名が学内及び大学周辺にてデモ(一部未届け)。座り込み解除。
20日 在寮者確認。
全学自治会同学会、朝尾学生部長に対し座り込みに関し「公開要求書」提出(回答はなされず)。
27日 帝国主義的大学再編粉砕!!理学部共闘会議及び理学部団交実行委員会、座り込みテント撤去に関し廣田寮小委を追及。
29日 吉田寮自治会、評議員に対し「公開質問状」。
20日の「公開要求書」に学生部長、堀切学生課長を通じて口頭で回答を伝えようとするも、文書での回答を要求されると学生課長は逃亡。
12月1日 佐野評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
2日 島田評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
3日 朝尾学生部長、吉田寮生及び親元に「吉田寮の在寮期限について」を送付し翌年3月31日の「在寮期限」到来を通告、同時に入寮届未提出者及びその親元に対し在寮者確認(配達証明にて)。吉田寮自治会委員長宛にも通知。
柳田評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
4日 森評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
5日 12・5時計台占拠緊急行動実行委員会の10余名、時計台屋上より吉田寮問題・大学再編等に関し情宣。
奥田評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
11日 吉田寮フレッシュマンプロジェクト、鴫原学生部委員追及を予定するも逃亡される。
13日 京都大学新聞社、西島新総長にインタビュー、吉田寮問題に「京大らしく対応」と応える(『京都大学新聞』第1943号(12月16日)掲載)。
14日 沢田総長の退庁式に対し約20名の学生が抗議行動。吉田寮自治会も参加。
16日 光熱水量未納分督促。
西島安則、第21代総長に就任(〜91年12月15日)。
吉田寮在寮期限粉砕も掲げた「12・16北部集会」(主催:理学部共闘会議・理学部団交実行委員会・農学部「在寮期限」に反対する会)、北部生協前にて約50名の参加。吉田寮自治会、吉田寮フレッシュマンプロジェクト・全学自治会同学会、中海宍道湖淡水化阻止!京大実行委員会などがアピール、吉田寮問題等に関し決議、集会後学内デモ。
川出評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
19日 「「在寮期限」実質化阻止!授業料免除制度改悪粉砕!「将来計画検討委第二次答申」弾劾!12.19全学集会」(主催:全学自治会同学会)、時計台前にて。
吉田寮主催の集会に対する前段集会(主催:吉田寮フレッシュマンプロジェクト)、教養部T字路前にて50名以上の参加。教養部団交実行委員会準備会、吉田寮1回生、教育学部有志、理学部有志、釜ヶ崎を考える有志の会などアピール。
「「在期」3周年弾劾! 12・19全学総決起集会」(主催:吉田寮自治会)、法経7番教室にて約120名の参加。全学団交戦方針を打ち出す。全学自治会同学会、農学部「在期」に反対する会、吉田寮フレッシュマンプロジェクト・教養団交実行委員会準備会、法学部有志、工学部自治会再建準備会、文学部学友会、理学部共闘会議・理学部団交実行委員会、室町料自治会からアピール、京大差別事件糾弾実行委員会、釜ヶ崎・京都越冬闘争支援実行委員会から特別アピール。
鴫原学生部委員、翌日に予定されていた吉田寮フレッシュマンプロジェクトとの公開の話し合いから再び逃亡。
吉田寮寮生大会、自治憲章改正を採択(翌20日採決、翌年1月1日施行)。
23日 工学部自治会再建準備会、万波寮小委委員長を追及。
25日 理学部共闘会議・理学部団交実行委員会、廣田寮小委を追及。
26日 農学部「在寮期限」に反対する会、西村寮小委を追及。
学生部委員会。総長の寮問題に関する基本方針が提出される(京都大学新聞社インタビューと同様)。
28日 帝国主義的大学再編と闘う法学部学生有志、木村寮小委に「公開要求書」提出。
1986年
1月6日 農学部「在寮期限」に反対する会、西村寮小委追及。
7日 学生部委員会。総長の寮問題に関するより詳しい方針が提出される。
8日 「全学団交戦突入集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて。全学自治会同学会、教養部団交実行委員会準備会からアピール。集会後、学内デモ。
帝国主義的大学再編と闘う法学部学生有志、木村寮小委に公開要求書の回答を受け取りに行くも提出されず。
吉田寮寮生大会、85年度後期全体方針・炊事部方針を採択。
9日 万波・西村・赤岡寮小委を追及。
11日 農学部「在寮期限」に反対する会、西村寮小委を追及。
万波寮小委委員長を追及。
12日 全学自治会同学会、吉田寮問題に関する教養部闘争委員会からの共闘の提起に対し、「我々は原則的共斗を呼びかける」を発表。
13日 学生部委員会が予定されていたことに対し、吉田寮自治会・全学自治会同学会、朝尾学生部長を学生部棟前にて50名以上の参加で大衆的に追及。強硬決定をしない旨の口頭の約束を取り付ける。学生部委員会は中止。
吉田寮総会において1月31日に全国集会を開催することが提案される(後、2月3日に変更)。
14日 教養部団交実行委員会結成集会、教養部T字路にて110名の参加。吉田寮自治会・釜ヶ崎を考える有志の会・京大差別事件糾弾実行委員会などからアピール。
農学部「在寮期限」に反対する会・吉田寮自治会、西村寮小委を追及。
16日 教養部代議員大会実行委員会結成集会、吉田寮食堂前にて。1月31日午後2時半より法経1番教室にて教養部代議員大会を招集することを決定。
帝国主義的大学再編と闘う法学部学生有志、木村寮小委を追及。
18日 民主化闘争委員会結成会議、教養部A号館地下にて。
吉田寮自治会執行委員会、1月31日に予定されていた全国集会を2月3日に変更することを決定。
19日 民主化闘争委員会、吉田寮自治会に対し五項目要求署名の取り扱い団体として承認するよう要請。
教養部団交実行委員会、吉田寮自治会に対し85年度後期方針に関し見解を表明。
20日 吉田寮自治会、2月3日の集会をビラで提起。
熊野寮生福島慎一郎君、革マル派により教養部A号館2階にて殺害。尚賢館、捜索。
教養部自治会常任委員会、速報ビラ。
21日 前日の事態に関する西島総長名の掲示。熊野寮、捜索。
革命的共産主義者同盟関西地方委員会・マルクス主義的学生同盟中核派関西地方委員会・マルクス主義的学生同盟中核派京大支部、前日の事態に関しビラで声明。
熊野寮自治会、前日の事態に関しビラで声明。
前日の事態に関する弾劾集会、教養部正門前にて。教養部闘争委員会、大阪市立大学志全寮自治会、熊野寮自治会、教養部代議員大会実行委員会、全学連(鎌田雅志委員長)がアピール。
22日 教養部自治会常任委員会・理学部自治会評議会・医学部自治会執行委員会・法学部自治会常任委員会、「新寮建設の早期実現!!具体的検討を直ちに開始しよう!/新寮建設のための我々の五つの要求」を教養部自治会常任委員会発行のビラにおいて発表。
民主主義学生同盟京大支部委員会、20日の事態に関しビラで言及。
23日 教養部団交実行委員会、教養部学生生活連絡委員会に対し奥田教養部長との団交要求を提出。
教育学研究科大学院会協議委員会、20日の事態に関し声明を発表。
26日 吉田寮生1名自殺。
27日 法学部団交実行委員会による法学部長団交要求署名運動開始。
28日 教養部代議員大会実行委員会、1月31日の教養部代議員大会を4時からに変更とビラで告知。
29日 P有志せんこはなび、教育学部長・評議員に対し団交要求書を提出。
30日 吉田寮自治会、2月3日の集会への参加を呼びかけるビラ。
全学団交実行委員会、文学部学友会・工学部自治会再建準備会・理学部団交実行委員会’86・法学部団交実行委員会・農学部団交実行委員会・教養部団交実行委員会を構成団体として結成、P有志せんこはなびが当日参加。結成集会、時計台前にて約150名の参加。吉田寮自治会もアピール。集会後、約100名が学内デモ並びに朝尾学生部長及び工・文・理・農・法の各学部長への抗議行動。
教養部学生生活連絡委員会、教養部団交実行委員会に対し教養部長団交の要求に対し奥田教養部長に取り次がないと回答。
文学部第1委員会、文学部学友会常任委員会との折衝の場において、本田文学部長の事実上の団交拒否の意向を通告。
工学部自治会再建準備会、赤井工学部長と電話交渉。
蹴散らせ5・18弾圧200万円カンパ運動実行委員会、会計報告を出して解散。
31日 吉田寮「在寮期限」白紙撤回などを掲げた教養部代議員大会、定足数に満たず成立せず。委任状を含め代議員100余名、教養部生約200名の参加。
教養部自治委員会、京都教育文化センター(学外)にて「新寮建設要求」を含む全議案を採択。
民主化闘争委員会、評議員要請行動に引き続き教養部T字路にて総決起集会。
2月2日 中核派、2月3日の集会を呼びかけた1月30日付の吉田寮自治会のビラに関して吉田寮自治会を追及。吉田寮自治会、中核派に対して自己批判。
3日 吉田寮自治会、中核派に対し声明「熊野寮生福島君虐殺糾弾」を提示。
「「在寮期限」粉砕 新自治寮獲得 2/3時計台前集会」(主催:吉田寮自治会)。時計台前にて約250名の参加。全学自治会同学会、文学部学友会、理学部共闘会議、全学団交実行委員会、並びに、大阪大学、中央大学、明治学院大学、同志社大学、立命館大学、関西大学、関西学院大学、神戸大学のそれぞれの大学の有志、並びに、女子寮有志、室町寮自治会からのアピール。京大差別事件糾弾実行委員会、釜ヶ崎日雇労働組合から特別アピール。集会後、約150名が学内及び大学周辺をデモ、時計台2階にて抗議行動。
「暴力を根絶し、安心して学び、働ける京都大学をめざす「全京大人集会」」(主催:自治会連絡協議会(教養部自治会常任委員会・法学部自治会常任委員会・教育学部自治会自治委員会・理学部自治会評議会)・院生協議会・職員組合・生協労働組合)、時計台前から法経7番教室に会場を移し360名の参加。
5日 2・5緊急行動実行委員会、教養部A号館西側入口廂上にて吉田寮問題に関し情宣活動。
教養部団交実行委員会、濱田・教養部学生生活連絡委員会副委員長を追及。
6日 文学部団交実行委員会結成、文学部東館封鎖。
文学部教授会、附属図書館から京都教育文化センターに会場を移して開催、文学部学友会常任委員会との折衝を確認。
工学部自治会再建準備会、乾学生部委員と電話交渉。
7日 文学部学友会常任委員会、本田文学部長・文学部第1委員会と折衝。折衝会場を文学部団交実行委員会が封鎖。文学部第1委員会が文学部長団交実現に努力する旨声明し、封鎖解除。
教養部団交実行委員会、秋葉・教養部学生生活連絡委員会委員長及び濱田・教養部学生生活連絡委員会副委員長を追及。
12日 教育学部自治会自治委員会、P有志せんこはなびに対し団交要求撤回の要求。後、P有志せんこはなびは撤回要求を受けれる。
文学部団交実行委員会、文学部第1委員・本田文学部長追及。文学部長、団交受け入れを表明。
13日 吉田寮自治会、万波・木村・西村寮小委を追及。
14日 吉田寮自治会、寮務掛長・厚生課長を追及。
吉田寮問題に関して農学部長団交を目指す農学部学生大会、定足数に満たず成立せず。82名の農学部生の出席と約100名のオブザーバーの参加。学生集会として決議を採択。
15日 学生部委員会、86年度の吉田寮入寮募集停止を決定。
西村小委、吉田寮を訪問。
教養部団交実行委員会、奥田教養部長と折衝。教養部自治会常任委員1名乱入、「団交に応じるな」旨の文書を提出し退場。
工学部自治会再建準備会、乾学生部委員と折衝。
17日 吉田寮自治会、朝尾学生部長を学内で捕捉し、大衆的に追及。入寮募集停止決定明らかに。団交を持つ旨の確約を得る。
18日 評議会延期。
民主化闘争委員会、「評議会流会糾弾!入寮募集停止、炊フ引き上げ阻止!二・一八緊急行動」。
教養部代議員大会実行委員会・教養部闘争委員会・熊野寮自治会、教養部正門にて全学集会。
工学部団交実行委員会、乾学生部委員を追及。
19日 理学部長団交が予定されるも無期延期。
20日 文学部団交実行委員会、竺沙学生部委員を追及。学生部長団交支持と吉田寮生叩き出し反対の確約を得る。
吉田寮自治会、武部・鴫原学生部委員並びに寮務掛を追及。
22日 吉田寮自治会、朝尾学生部長と団交予備折衝を予定するも一方的条件のため延期。
文学部団交実行委員会、翌23日にかけて文学部学生控室にて100名の参加のもと文学部長団交。岡文学部長代行、団交支持、叩き出し反対、「在期」は老朽化を理由とするもの、入停は遺憾である、との計4枚の確約。
24日 吉田寮自治会、学生部長を学内で捕捉して大衆的に追求しようとするも途中で気づかれ逃亡される。
25日 西村寮小委、吉田寮自治会に電話。
吉田寮自治会執行委員、東京サミット期間中に埋蔵文化財試掘調査実施の方針を検討。
27日 吉田寮自治会、朝尾文学部長団交予備折衝。
28日 工学部自治会再建準備会、赤井工学部長と折衝。工学部長、学部長団交に前向きの見解を表明し、「在期」後の吉田寮自治会と学生部長との話し合いを支持、「在期」後の吉田寮生叩き出し反対を口頭で確認。
3月1日 学生部、「学寮問題について」。
朝尾学生部長、吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮の入寮募集について」送付、入寮募集停止を通告。
2日 熊野寮自治会常任委員会、例年通り入寮募集情宣を2寮共同で行うよう吉田寮自治会に申し入れる。吉田寮自治会は、熊野寮自治会による吉田寮自治会への裏切り・屈服規程を撤回しない限り入寮募集は共にできないと返答。
6日 教育学部自治会、教育学部長交渉。寮問題に関しては交渉の内容とならず。
衆議院予算委員会第一分科会において梅田議員が吉田寮問題等について会計検査院及び文部省と質疑。
7日 朝尾学生部長、吉田寮自治会に電話。
教養部団交実行委員会、奥田教養部長と折衝。教養部長、入寮募集停止・炊フ引き上げ反対、次期教養部長と教養部団交実行委員会との話し合い継続への働きかけを表明。
農学部団交実行委員会、川島農学部長と折衝。団交支持、強制的措置反対、寮機能維持などの確約を得る。
8日 経済学部同好会、経済学部長・評議員・学生部委員団交。池上経済学部長、話し合い支持・強制的措置反対・「在期」は老朽化を原因とするもの、入停には善処を希望、本日の確認内容については責任をもって学生部委員会に報告する、などの確約。
10日 吉田寮自治会炊事部、神岡厚生課長と折衝。
17日 吉田寮自治会、朝尾学生部長団交予備折衝。
19日 吉田寮自治会、朝尾学生部長団交予備折衝。
24日 吉田寮自治会、朝尾学生部長団交予備折衝。
27日 吉田寮自治会、朝尾学生部長団交予備折衝。
29日 吉田寮自治会、朝尾学生部長団交予備折衝。4月1日以降も吉田寮生を強制的に退寮させず、引き続き交渉を行う旨の確約を得る。
吉田寮自治会、寮生14名の参加で万波・赤岡寮小委を追及。
朝尾学生部長、吉田寮自治会に電話。
31日 「在寮期限」到来。守衛1名室町寮へ配転、炊フ2名北白川スポーツセンターへ配置転換、寮食堂閉鎖。
「京都大学」名での掲示第9号により吉田寮への入寮禁止が告示。
朝尾学生部長、吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮からの退寮について(通知)」を送付。
3月付 「吉田寮の在寮期限到来にあたって」(学生部長 朝尾直弘)、発表。「当面、4月1日以降は仮に「執行中」とよび、その期間中、寮の機能を縮小する措置をとりつつ、寮生には自主的な退寮を求めたい」。
4月3日 朝尾学生部長、文部省に赴き「在寮期限」後の吉田寮の取り扱いについて説明。
11日 3寮合同新歓花見コンパ。
14日 吉田寮自治会、朝尾学生部長団交予備折衝(最終)。
16日 「吉田寮を防衛し新自治寮移行まで住み抜く4・16総決起集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台裏にて約100名の参加。全学団交実行委員会・教養部団交実行委員会から連帯アピール。集会後、学内デモ。
学生部長、寮務掛を通して吉田寮自治会に伝言。
18日 吉田寮総会、新寮について学生部長から言質がとれなくても埋蔵文化財調査を実施させることを確認。
23日 臨時教育審議会、第2次答申。
吉田寮自治会、蔵本小委委員長を授業終了後につかまえ研究室にて追及。
民主化闘争委員会、教養部A112教室において入試「改革」と寮問題を考える学習会。
26日 吉田寮自治会、ビラで埋蔵文化財試掘調査を告知。
28日 吉田寮南寮南において埋蔵文化財試掘調査実施(〜5月1日)。
5月4日 熊野寮自治会常任委員会、吉田寮自治会に対し埋蔵文化財試掘調査実施に関し「公開質問状」(回答はされず)。
9日 吉田寮自治会執行委員会、総会に会計検査院来寮受け入れを提起。
10日 吉田寮自治会拡大執行委員会、会計検査院来寮拒否を確認。
11日 吉田寮自治会執行委員会、会計検査院来寮拒否を提起。結論出ず。
12日 会計検査院来学(〜17日)
14日 吉田寮全寮総会、会計検査院来寮拒否を決定。
15日 「検査官による不当な指摘を許すな!緊急全学集会」(主催:全学団交実行委員会・全学自治会同学会)、時計台前にて。吉田寮自治会も参加。
16日 吉田寮祭(〜25日)
22日 教育学部学生大会、定足数に満たず不成立。学生集会、自治委員会提出の「新寮を現吉田寮生の移行寮として早期に実現、現吉田寮に対する生活破壊を許さない」を保留。
25日 医学部学生大会、定足数に満たず不成立。医学部動く会、吉田寮に関する決議案を提出。
6月8日 吉田寮寮生大会、85年度後期全体総括を採択。
13日 吉田寮自治会、蔵本・赤岡・川崎寮小委を追及。朝尾学生部長宛に六項目要求を提出。吉田新規格寮の図面を含む新寮資料を受け取る。
吉田寮自治会、六項目要求と同内容の「寮生叩き出し阻止・新自治寮獲得全学署名」開始。
14日 教養部自治委員会、教養部自治会常任委員会発行のビラ「京大暴力問題の焦点 学寮問題の真相」(3月)及び「吉田寮「居座り」路線は、何をもたらすか」(5月24日)の撤回を決議。
20日 「自治寮廃寮阻止!新寮戦取!6.20全学集会」(主催:全学団交実行委員会)、時計台前にて約70名の参加。吉田寮自治会、女子寮有志、関西学院大学全学闘争委員会・全学共同行動、農学部団交実行委員会、教養部団交実行委員会、法学部有志、文学部学友会、教育学部有志、理学部学生連絡会議、工学部自治会再建準備会からアピール。関西新空港に反対する有志から特別アピール。集会後、学内デモ。
24日 吉田寮生、吉田寮新規格寮の図面の代替案作成。
26日 法学部学生大会、特別議案「吉田寮の新自治寮要求を学生自治運動の一環として行う」を保留。
7月1日 吉田寮自治会、蔵本・赤岡・川崎寮小委を追及。
7月3日 在寮沙確認並びに吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮からの退寮等について(通知)」送付。
「7・3「寮生叩き出し阻止・新自治寮獲得」大集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて100余名の参加。全学自治会同学会中央執行委員会、農学部団交実行委員会、教養部団交実行委員会、理学部団交実行委員会、教育学部有志せんこはなび、女子寮有志、北海道大学恵迪寮、山形大学学寮、大阪大学旧鴻池寮元寮生、同志社大学大成寮からのアピール。横浜国立大学蒼翠寮から激励電報。集会後学内デモ、時計台2階の総長室前へも赴く。
4日 朝尾学生部長、吉田寮自治会委員長宛に前日の行動に関し「警告」。
8日 吉田寮寮生大会、85年度後期専門部総括・全体総括の補足を採択。
10日 吉田寮自治会執行委員会、吉田寮に無断居住する自称「ゴンちゃん」に事情聴取。
15日 吉田寮自治会、蔵本・赤岡・堀川寮小委を追及。
17日 吉田寮自治会執行委員会、「ゴンちゃん」を寮においておくことはできないと総会に提起。結論出ず。
25日 吉田寮総会、寮生有志の責任の下、「ゴンちゃん」を7月28日〜8月10日の期限付で宿泊者として扱うことを決定。
8月26日 在寮者確認。
8月下旬 吉田寮生数名、吉田寮斗争委員会を結成。
9月 寮生有志、「ゴンちゃん」に責任をもてなくなったと吉田寮執行委員会に言明。
7日 吉田寮新聞復刊。
9日 吉田寮自治会執行委員会、「ゴンちゃん」に9月16日までしか寮にいることはできないと通告。
10日 吉田寮寮生大会、86年度前期全体方針を採択。
12日 筧田知義、学生部長に就任(〜87年12月7日)。
14日 吉田寮執行委員会、「ゴンちゃん」に期限を21日とすると通告。
24日 吉田寮自治会、蔵本・川崎・赤岡寮小委を追及。
25日 「吉田寮問題の現状」(学生部長 朝尾直弘)、配布開始。
30日 革マル派、吉田西寮にて吉田寮生1名に恫喝・暴行。
10月7日 吉田寮闘争委員会、吉田寮自治会執行委員会に対し9月30日の事態に関する吉田寮自治会の弾劾声明が不十分であるとして「申し入れ書」。
9日 吉田寮寮生大会、監察委員会細則制定・共同会計細則改正・86年度前期専門部方針を採択。寮生大会において革マル派への対応を決定。
16日 革マル派、9月30日の事態を「真摯な論議」とするビラを配布。
寮生数名、吉田寮東寮総会において革マル派への吉田寮自治会の対応について提起。討議者、提起者が「(自分と)政治思想上対立している寮生が寮外からテロ行為を働かされた場合、それは見過ごさざるを得ない」と発言。この発言が撤回されるまで提起は議題とされないことが確認される。
17日 吉田寮自治会執行委員会、自己批判がなされるまでの革マル派の吉田寮内立ち入り禁止を含む弾劾声明案を総会に提起。
27日 在寮者確認。
31日 吉田寮自治会、川崎・蔵本・児島寮小委を追及。
11月5日 吉田寮自治会、時計台前にて座り込み(〜7日)。
文学部学生大会、「吉田寮廃寮化攻撃粉砕!新自治寮をかちとるぞ!」を含む’86年度方針を採択。
6日 文学部ストライキ(〜12日)。
吉田寮自治会、寮小委追及。
11日 吉田寮自治会、寮小委追及。
12日 吉田寮自治会、時計台前にて第2波座り込み(〜14日)。
14日 筧田学生部長、文部省と折衝。
17日 「「入停」粉砕・新寮予算化・寮自治防衛11・18集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約70名の参加。全学団交実行委員会、農学部団交実行委員会、理学部団交実行委員会、P有志せんこはなび、文学部学友会、教養部まじぱっぱ編集部からアピール、全学救対から特別アピール。集会後、学内デモ。
19日 吉田寮自治会文化部情報局、吉田寮新寮設計図の代替案を作成、吉田寮新聞に発表。
12月1日 吉田寮自治会、川崎・蔵本・広田寮小委を追及。
4日 「新寮予算化・新自治寮戦取・時計台包囲 12・4全学総決起集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約70名の参加。全学団交実行委員会らからアピール。集会後、時計台2階に上がって総長に「要求書」を手渡そうとするも、職員に阻止される。
8日 筧田学生部長、吉田寮自治会委員長宛に退寮勧告。
9日 吉田寮自治会、川崎・蔵本寮小委を追及。
10日 吉田寮自治会、時計台2階に上がり総長に「要求書」を手渡し、追及を行う。
12日 筧田学生部長、吉田寮自治会委員長宛に10日の行動に関し「警告」。
「京大再編を撃つ全学集会」(主催:全学団交実行委員会)、法経8番教室にて30数名の参加。吉田寮自治会もアピール。
18日 「「在寮期限」決定4ヶ年糾弾!新自治寮戦取!!12.18全学集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて。集会後、学内デモ。
23日 将来計画検討委員会、第3次答申。
12月中旬 『アサヒグラフ』、吉田寮を取材(〜下旬、1987年2月6日号で特集記事)
1987年
1月9日 在寮者確認。
吉田寮自治会文化部催事局、西部講堂連絡協議会への加盟を文化部会に報告。
12日 吉田寮寮生大会、86年度前期全体総括を採択。
22日 吉田寮寮生大会、86年度後期全体方針・86年度前期東寮会計報告・86年度後期東寮会計予算を採択。
30日 「将来計画をぶっつぶせ教養生のつどい」、教養部T字路にて。吉田寮廃寮化も批判、吉田寮有志もアピール。
2月2日 吉田寮自治会、川崎・広田・児嶋寮小委を追及。
6日 女子寮自治会・吉田寮自治会、合同寮務掛追及。
12日 熊野寮自治会、炊フ退職問題に関し寮務掛追及。学生部長名の退去命令書により退去。
14日 熊野寮自治会、12日に引き続き寮務掛追及。
19日 女子寮寮生大会。退職する女子寮守衛の完全補充・ガードマン導入阻止を決議。後、学生部長へ要望書提出。
25日 女子寮自治会・吉田寮自治会、合同寮務掛追及。
27日 女子寮自治会・吉田寮自治会、合同寮小委追及。
筧田学生部長、吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮の入寮募集停止について」送付。
3月1日 「京都大学」名での掲示第3号により吉田寮への入寮禁止が告示。
4月1日 臨時教育審議会、第3次答申。
5月8日 農学部W100号教室の窓ガラス2枚及び入り口の鍵が何者かによって壊されているのが発見。農学部当局は被害届を堤出し、機動隊導入の下、現場検証。
10日 5月8日の事態に対し「器物損壊」及び「建造物侵入」、並びにポスターを貼ったことに対し「軽犯罪法違反」容疑で熊野寮に家宅捜索(5・10弾圧)。
11日 会計検査院来学(〜16日)。
14日 農学部自治会常任委員会・農学部闘争委員会、5・10弾圧に関し「弾劾声明」。
5月10日と同じ容疑で教養部構内の尚賢館に家宅捜索。
18日 「5・18弾圧4ヶ年糾弾!全学集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて120余命の参加。全学団交実行委員会、文学部学友会(臨執)等からアピール。狭山―久世を闘う会、日韓問題研究会から特別アピール。女子寮有志から発言。5・18弾圧被告からアピール。集会後、学内及び東一条交差点にてデモ。
全学自治会同学会・全学団交実行委員会、5・10弾圧に関し総長・農学部長・学生部長に申し入れ書提出。
19日 吉田寮寮生大会、87年度前期東寮会計予算を採択。
20日未明にかけて吉田寮においてストーム。
22日 吉田寮祭(〜31日)
25日 19〜20日のストームに関し加害者の声明。
26日 吉田寮自治会、5月18日の申し入れ書に連名。
27日 学生部長・農学部長、5・10弾圧に関し下鴨書に「遺憾」の意を申し入れる。
28日 19〜20日のストームに関し被害者の声明。
29日 全学自治会同学会、5・10弾圧に関し農学部長を追及。
6月3日 熊野寮自治会、吉田寮自治会らに対し5・10弾圧弾劾全学共闘会議(仮称)への参加を提起。
5日 5・10弾圧弾劾全学共闘会議(仮称)第1回結成準備会に吉田寮自治会も参加。
7日 5・10弾圧弾劾!全学共闘会議、熊野寮自治会・農学部自治会農学部闘争委員会・教養部共闘会議・全学闘争委員会の参加団体として結成。
11日 農学部学生有志、5・10弾圧に関しハンスト突入。
15日 全学自治会同学会、5・10弾圧に関し学生部長に「申し入れ書」。
16日 吉田寮自治会、寮務掛を追及。
17日 全学教官有志、5・10弾圧に関し総長・学生部長・各部局長に申し入れ書を提出。
農学部団交実行委員会、農学部教授会に突入し農学部長を追及。
25日 吉田寮自治会、児嶋・住友・広田寮小委を追及。
26日 赤ヘル学生、教養部構内において原理研究会を追及し学外へ放逐。その際、「暴行事件」が生じたとの110番通報があったとして独自判断で警察が学内捜索を行う(6・26弾圧)
7月2日 「寮問題を考える学習会」(主催:吉田寮自治会)、教養部A112教室にて。スライド「今あばかれる管理大学の実態」上映。
10日 京大広報において5・10弾圧に関する経過報告。
14日 在寮者確認並びに吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮からの退寮等について(通知)」送付。
8月7日 臨時教育審議会、第4次(最終)答申。
31日 在寮者確認。
9月11日 全学自治会同学会、6・26弾圧に関し佐野教養部長を追及。
12日 吉田寮寮生大会、87年度前期方針を採択。
17日 吉田寮食堂にて「満開座」公演(〜23日)。吉田寮自治会執行委員会より観客に対し「御挨拶」。これより寮外団体への寮食堂貸し出し始まる。
24日 吉田寮自治会、約15名の参加で寮務掛追及。
25日 全学自治会同学会、6・26弾圧に関し佐野教養部長を追及。
10月13日 吉田寮自治会が前日時計台前に出した補充入寮募集の立て看板が学生部によって撤去。
16日 吉田寮自治会、教養部A111教室にてスライド「今暴かれる管理大学の実態」上映会。
17日 吉田寮自治会、教養部A111教室にてスライド「今暴かれる管理大学の実態」上映会。
21日 文学部学生大会、「吉田寮廃寮化阻止」を含む87年度方針を採択。
22日 文学部ストライキ(〜28日)。
26日 吉田寮自治会、住友則彦・住友恒・杉浦寮小委を追及。
27日 吉田寮自治会、清水寮小委を追及。
28日 吉田寮自治会、渡邉・藤多学生部委員を追及。
住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
吉田寮自治会と会見。私見として「在寮期限」凍結を提案。
29日 吉田寮自治会、教養部A111教室にてスライド「’85年時計台前座り込みテント撤去」上映会。参加者なし。
吉田寮自治会、山中寮小委を追及。
住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。「在寮期限」凍結案が学生部長に受け入れられなかったことが判明。
30日 吉田寮自治会、教養部A111教室にてスライド「’85年時計台前座り込みテント撤去」上映会。参加者1名。
31日 住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
11月4日 吉田寮自治会、時計台前座り込み(〜7日まで、8日撤収)。
16日 吉田寮寮生大会、87年度前期専門部方針を採択。
30日 在寮者確認並びに吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮からの退寮等について(通知)」送付。
12月1日 87年度熊野寮・室町寮入退寮者名簿、京大新聞紙上に発表。
4日 学生部合宿(〜5日)。
7日 河合隼雄、学生部長に就任(〜89年4月1日)。
12日 吉田寮自治会、住友則彦・住友恒寮小委を追及。
14日 時計台2階での前段抗議行動での総長・評議会への「抗議文」提出に引き続き、「「在寮期限」決定5ヶ年糾弾!新自治寮戦取!管理強化を許すな! 12・14全学集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約110名の参加。P有志せんこはなび、農学部団交実行委員会、全学団交実行委員会、文学部学友会(臨執)、女子寮有志、室町寮自治会、大阪市立大学杉本寮自治会から連帯アピール。反原発学習会、アスベストを追放しよう連絡会、京大越冬実行委員会、日韓問題研究会、西部講堂連絡協議会などから特別アピール。集会後、学内デモ。引き続き約70名が5年ぶりに時計台2階にて集会。
15日 河合学生部長、前日の行動に対し警告文。
1988年
1月10日 吉田寮自治会、住友寮小委委員長を追及。
13日 吉田寮生大会、87年度前期全体総括を採択。
19日 在寮者確認。
26日 吉田寮自治会、寮務掛追及。
27日 長宿問題に関する特別委員会第一次答申。
26日 吉田寮自治会、16名の参加で寮務掛追及。
29日 住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
2月10日 河合学生部長、各寮自治会委員長宛に「寄宿料改定の予定について(通知)」。
吉田寮自治会執行委員会、女子寮自治会運営委員会と会合。
22日 吉田寮自治会・女子寮自治会・室町寮自治会、寄宿料値上げに関し合同で住友寮小委員長を追及。
25日 吉田寮自治会、筧田前学部長・住友寮小委委員長を追及。
26日 「京都大学」名での掲示第4号により吉田寮への入寮禁止が告示。
3月22日 吉田寮自治会、寮務掛を追及。
3月末 女子寮自治会、寄宿料値上げに関し抗議文を学生部に提出。
4月1日 寄宿料値上げ。
19日 部局長会議の後、河合学生部長、住友寮小委委員長に一線からひいて事務と話をさせるように指示。
20日 住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話、今後は会えないと伝える。
23日 吉田寮自治会、クラス入り開始。
5月11日 吉田寮寮生大会、87年度後期方針を採択。
18日 5・18緊急行動実行委員会、時計台屋上を占拠し5・18弾圧5ヶ年糾弾。
21日 吉田寮祭(〜29日)。
25日 国家権力によるスパイ化攻撃を徹底弾劾する有志、「京都府警による学友スパイ化工作に対する弾行動へのとりくみの申し入れ」。
30日 中核派と政治経済研究会、教養部構内にて衝突、機動隊乱入(5・30弾圧)。吉田寮自治会、「機動隊乱入弾劾!」声明。
6月1日 5・30弾圧に関し同学会、緊急集会。吉田寮自治会執行委員長ら、吉田寮自治会名でアピール。「声明文」にも連名。
2日 スパイ化弾劾共闘会議結成。
5日 吉田寮自治会、スパイ化工作及び5・30弾圧に関し「警察権力の学生自治への介入を許すな!」ビラ。
6日 スパイ化弾劾共闘会議、総長に申し入れ書。吉田寮自治会のビラを批判。執行委員会と討議。
8日 スパイ化弾劾共闘会議、「吉田寮自治会の6/6付ビラに対し自己批判と撤回を要求する!」ビラ。
13日 吉田寮自治会、河合学生部長に対し二項目要求。同時に、「吉田寮廃寮化を許すな!二項目要求署名」開始。
23日 中核派と革マル派、教養部図書館前にて衝突、機動隊乱入(6・23弾圧)。
法学部学生大会成立。
教養部代議員大会、定足数に満たず流会。
教養部代議員集会、ストライキを決議。
30日 「6・30京大再編を撃つ!全学集会」(主催:全学集会実行委員会(構成団体:全学自治会同学会、みえる会、安全センター、文学部学友会、農学部団交実行委員会、吉田寮自治会))、法経第7教室にて約100名の参加。室町寮自治会、西部講堂連絡協議会、「知」のあり方を問う自主講座がオブザーバー参加。同志社大学学友会及び東京大学より特別参加。
7月1日 中核派と革マル派、教養部E号館前にて衝突、機動隊乱入(7・1弾圧)。吉田寮自治会、糾弾ビラ。
4日 「廃寮化攻撃粉砕!自治寮防衛!治安弾圧体制強化を許すな! 7・4全学集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約120名の参加。集会に先立ち、学生部棟前にて緊急講義集会を開催、840名分の署名を提出。全学自治会同学会、文学部学友会(臨執)、農学部団交実行委員会、P有志せんこはなび、西部講堂連絡協議会、風の旅団、大阪市立大学杉本寮、北海道大学恵迪寮、東京大学駒場寮から連帯アピール。集会後、80名の参加で時計台2階にて抗議行動を行い学内・大学周辺をデモ。
7日 吉田寮自治会、河合学生部長を学内で捕捉し大衆的に追及するも失敗。
13日 在寮者確認並びに吉田寮自治会委員長宛に「吉田寮からの退寮等について(通知)」送付。
住友寮小委委員長・八木寮務掛長、吉田西寮Ⅳ棟撤去を申し入れ。
14日 吉田自治会、吉田西寮Ⅳ棟撤去に関し寮務掛追及。
20日 住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話、翌日の学生部委員会を前に妥協を打診。
21日 学生部委員会、吉田西寮Ⅳ棟撤去を決定。
22日 吉田寮自治会、吉田西寮Ⅳ棟撤去に関し寮小委追及、前日の撤去決定明らかになる。
28日 吉田寮自治会、吉田西寮Ⅳ棟撤去に関し寮小委追及。
7月 長宿問題に関する特別委員会第二次答申。
8月2日 吉田寮自治会、学生部委員会に「四棟撤去延期をもとめる申し入れ書」送付(配達は翌日)。
3日 牧山厚生課長、吉田寮自治会に対し翌日午前のⅣ棟撤去を通告。
4日 吉田寮自治会、吉田西寮Ⅳ棟撤去阻止行動。河合学生部長、「河合の定理」を提示。住友寮小委委員長より、補修責任を認め、「寮に関することはすべて寮自治会と話し合い、合意の上で決定」との確約を得た後、吉田寮自治会は全寮総会において撤去受け入れを決定。
吉田西寮Ⅳ棟撤去(〜6日)。
9月7日 住友寮小委委員長、吉田寮を訪れ、13日に学生部長が話をしたがっていると伝える。
10日 西部サークル棟の1棟が全焼。
12日 吉田寮自治会、河合学生部長来寮を拒否し団交を要求。
16日 住友寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
住友則彦・87年度後期・88年度前期寮小委委員長、「寮生との一年間を振り返って」を京都大学新聞に寄稿。
20日 吉田寮自治会、寮小委追及。「住友私案」示される。
25日 熊野寮自治会常任委員会、吉田寮自治会に反Xデー闘争の共闘呼びかけ。
26日 文部省通知「学園の秩序の維持等について」。
10月7日 吉田寮自治会、河合学生部長に対し「要求書」。
11日 吉田寮自治会、20名の参加で大谷隆一・大谷晋一・山崎寮小委を追及。
13日 「10・13学生部長団交戦取!全学総決起集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約90名の参加。全学自治会同学会、農学部団交実行委員会、文学部学友会常任委員会から連帯アピール。安全センター、Xデー・京都国体を撃つ!実行委員会、熊野寮自治会常任委員会から特別アピール。集会後、学内デモ。
14日 文学部学生大会、「吉田寮自治会と連帯し、吉田寮廃寮化攻撃を粉砕するぞ」を含む88年度方針を採択。
15日 文学部ストライキ(〜22日)。
17日 吉田寮自治会、寮務掛追及。
学生部委員会、「本年度中に在寮期限設定に伴う吉田寮問題の解決をみるよう努力する」との基本方針を決定。
26日 河合学生部長、大谷寮小委委員長を通じて吉田寮自治会に11月2日か7日の代表者との話し合いを申し入れる。
吉田寮有志、「学生部はこたつ布団をクリーニングせよ」ビラ。
27日 吉田寮自治会、7日付の「要求書」に回答しない河合学生部長に対し「警告文」。
28日 大谷寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
31日 吉田寮自治会、評議員に対し「公開質問状」。
吉田寮有志団体「わからずや」、教養部A号館212教室にてスライド「今あばかれる管理大学の実態」上映会。
11月7日 吉田寮自治会、学生部会議室にて第1回河合学生部長団交、約100名の参加。吉田寮自治会、「5項目要求」提示。西寮撤去及び名簿・寄宿料の提出と引き換えに東寮を補修して残すとの「河合提案」が明らかにされる。一方的な決定をせず、今後も公開の場での話し合いを続けるなどの3枚の確約を得る。
岡本評議員、吉田寮自治会の公開質問状に回答。
大西評議員、秘書を通じ吉田寮自治会の公開質問状に回答できない旨返答。
10日 熊野寮自治会、約30名の参加でトイレ問題に関し牧山厚生課長を追及、確約を獲得。
14日 学生部長、10日の厚生課長による確約の破棄を熊野寮自治会に通知。
15日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長から情報収集。
23日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長と会見。
24日 吉田寮自治会、川崎教授・大谷寮小委委員長と折衝。吉田東寮の建築耐用性調査の翌日実施を求められる。同日の総会において受け入れ決定。
25日 川崎教授らによって吉田東寮建築耐用性調査が行われる。
農学部団交実行委員会・全学自治会同学会・吉田寮自治会、7名の参加で岩井農学部長を追及。
26日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長と会見。
29日 吉田寮自治会、23名の参加で大谷・山崎・本山寮小委を追及。
11月 文学部学友会常任委員会、岡文学部長に対し団交要求を文書で申し入れ。
12月1日 吉田寮自治会「11・7「河合提案」に対する我々の見解」第1刷発行(3日に第2刷)。
大谷寮小委委員長、吉田寮自治会に電話。
2日 全学自治会同学会、吉田寮自治会と共に6名の参加で新田教養部長・児嶋教養部学生生活連絡委員会委員長らを追及。
7日 教養部T字路において12月祭実行委員会結成、新田教養部長に対し団交への招請状を提出。
吉田寮自治会、時計台前での学生部長団交勝利前段集会に引き続き学生部会議室にて第2回河合学生部長団交、約150名の参加。
8日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長を追及。
10日 業者並びに河合学生部長ら、吉田東寮畳調査。
12日 文学部学友会、吉田寮自治会・全学自治会同学会と共に、岡文学部長・中務文学部第1委員会委員長らと会見し団交を要求。
13日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長と会見。
14日 教養部T字路において12月祭突入祭。
「「在寮期限」決定6ヶ年糾弾! 総長・評議会徹底追及! 学生部長団交勝利! 12・14全学集会(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約90名の参加。全学自治会同学会中央執行委員会、文学部学友会常任委員会、農学部団交実行委員会、安全センター有志、アスベストを追放しよう連絡会、12月祭実行委員会から連帯アピール。越冬実行委員会、「わからずや」から特別アピール、集会後、学内デモ。
16日 12月祭実行委員会、10名の参加で児嶋・教養部学生生活連絡委員長を追及、新田教養部長に対する団交への2度目の招請状を提出。
87年11月88年10月分の熊野寮入退寮者名簿、京大新聞紙上に発表。
19日 吉田寮自治会、大谷・山崎・本山寮小委を追及(学生部長団交予備折衝)。「吉田東寮の建築耐用年数に関する所見」明らかにされる。
20日 業者並びに大谷寮小委委員長らによる吉田東寮不良箇所の調査。
吉田寮寮生大会、87年度後期決算・88年度前期予算・88年度前期決算・88年度後期予算を採択。
26日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長を追及。
1989年
1月6日 吉田寮自治会、大谷・山崎寮小委から情報収集。
7日 天皇ヒロヒト自然死。正門前に掲げられた日の丸・弔旗に対し全学自治会同学会らが抗議し、降ろさせる。
文部省通知「学園における秩序維持の徹底について」。
9日 12月祭実行委員会、海原・教養部学生生活連絡委員を追及。
文学部正門前において、文学部に団交を!の会結成集会。
文学部学友会常任委員会、岡文学部長に対し再度の団交要求の「申し入れ書」。
10日 12月祭実行委員会、高橋三郎・教養部学生生活連絡副委員長を追及。
11日 文学部正門前において、「在寮期限」を撤回させる全学実行委員会結成集会。
12日 12月祭実行委員会、教養部T字路において教養部長団交を要求する集会。
教養部学生生活連絡委員会、12月祭実行委員会の団交要求を教養部長に取り次がないことを決定。
吉田寮自治会、学生部会議室、引き続き法経1番教室にて第3回河合学生部長団交、約100名の参加。
13日 文学部に団交を!の会、文学部長団交を要求して文学部東館を封鎖。
吉田寮自治会、法経一番教室にて第4回河合学生部長団交、約100名の参加。プレハブ建設など、「河合提案」の全貌が明らかになる。
17日 吉田寮自治会、17名の参加で大谷隆一・大谷晋一・山崎寮小委を追及。
吉田自治会、名簿・寄宿料について寮務掛を追及。
全学自治会同学会、大西・理学部評議員を追及。老朽化を理由とする「在期」決定は妥当でないとの確約を得る。
部局長会議。河合学生部長、吉田寮自治会との話し合いの経過を説明。
18日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長と会見。
12月祭実行委員会、吉田西寮大広間にて「池田浩士と飲み食い話す会」。
19日 12月祭実行委員会、教養部教授会に乗り込み新田教養部長に団交要求。
20日 文学部学友会常任委員会、岡文学部長と会見。文学部長は団交拒否の姿勢。
22日 吉田寮寮生大会、88年度後期運動方針を採択。
23日 吉田寮自治会、大谷・山崎・本山寮小委を追及。河合学生部長宛に要求書提出。
河合学生部長、要求書に回答。
文学部に団交を!の会、文学部長団交を求めて文学部東館無期限封鎖に突入(〜24日正午)。中務・文学部第1委員長、文学部学友会常任委員会との文学部長団交を25日に設定。
24日 吉田寮自治会、大谷・本山・山崎寮小委を追及。了解事項を付した上で河合学生部長の回答を受け入れる旨回答。
「「在寮期限」を問い続ける!全学若干決起集会」(主催:吉田寮有志)、時計台前にて約30名の参加、評議会に行こうとするも職員らに阻止される。
評議会、吉田寮問題の解決案を承認。
25日 学生部委員会、吉田寮入寮募集禁止措置解除等を決定。
吉田東寮補修開始。
文学部学友会・文学部に団交を!の会、岡文学部長団交。「河合提案」の不十分性を認め、今後の改善を望むなどの確約を得る。
26日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長から情報収集。
28日 吉田寮東寮樹木の伐採・枝打ち開始。
30日 吉田寮自治会、寮小委追及。
業者らによる吉田東寮電気配線等点検。
熊野寮寮生大会、第45期総括・第46期方針を審議。
31日 時計台前にて「学生部長団交貫徹!総長・評議会団交戦取!全学集会」(主催:吉田寮自治会)。
2月2日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長を追及。
4日 吉田寮自治会、大谷寮小委委員長から情報収集。
7日 「学生部長団交貫徹!総長団交戦取!自主管理貫徹! 2.7全学集会」(主催:吉田寮自治会)、時計台前にて約50名の参加。全学自治会同学会、「在寮期限」を撤回させる全学実行委員会、12月祭実行委員会、全学吉田寮ファンクラブ、文学部学友会から連帯アピール。労災・職業病闘争に連帯する有志の会から特別アピール。集会後、30名弱の参加で学内及び東一条交差点をデモ、時計台2階にて抗議行動。
8日 「在寮期限」を撤回させる全学実行委員会、朝尾・文学部評議員を追及。話し合いの原則を確認する確約を得る。
13日 吉田寮自治会、リーフレット『我々の寮闘争における選択と展望』発行。
吉田寮自治会、寮務掛追及。
15日 「在寮期限」を撤回させる全学実行委員会、平野・文学部評議員を追及。話し合いの原則を確認する確約を得る。
16日 吉田寮自治会、法経1番教室にて第5回(最終)河合学生部長団交、50名弱の参加。吉田寮自治会、総長宛の「要求書」提示、取り次ぐよう要求。「吉田寮自治会と学生部長とが必要に応じて、公開の場で話し合いをもつことが望ましい」、「在期」の失効を評議会で確認するよう総長にはたらきかけるなどの確約を得る。
25日 12月祭実行委員会、全学自治会同学会の取り次ぎで新田教養部長と団交。話し合いの原則を確認し、「河合提案」の不十分性を認め、「在期」の失効を評議会で確認するよう総長にはたらきかけるなどの全学自治会同学会宛の確約を得る。
2月 「吉田寮問題について」(学生部長 河合隼雄)、発表。
3月25日 吉田西寮撤去開始。
3月27日 吉田寮に対する入寮禁止措置解除が公示。
4月1日 消費税導入に伴い寄宿料値上げ実施。
佐野哲郎、学生部長に就任(〜91年3月30日)。
13日 吉田寮自治会、本山・大谷・萩野寮小委を追及。
14日 吉田寮自治会、在寮者名簿と寄宿料を提出。
18日 評議会、在寮期限終了を承認。
20日 将来計画検討委員会、「将来計画検討委員会審議報告書」。
5月20日 吉田寮祭(〜28日)。
7月3日 尚賢館が全焼。
7月7日 「吉田寮在寮期限設定に伴う一連の措置の完了について(所感)」(総長 西島安則)。7月10日付けの京大広報に掲載。
11月2日 吉田寮寮生大会、88年度後期決算・89年度前期予算・自治憲章一部改正を採択。
1990年
1月23日 88年度後期吉田寮自治会全体総括草稿が公表される(寮生大会に提出されず)。
3月3日 吉田寮寮生大会、89年度前期決算・89年度後期予算を採択。
5月18日 吉田寮寮生大会、寮生枠拡大・新聞局予算凍結解除・新聞局会計設置・寮祭予算補助・ビデオカメラ購入を採択。
31日 吉田寮寮生大会、共同会計細則改正(共同拠金800円)を採択。
1991年
3月19日 佐野学生部長と熊野寮自治会の間に合意成立。
25日 「熊野寮問題について」(学生部長 佐野哲郎)、発表。19日の合意内容を掲載。
4月1日 岩井保、学生部長に就任(〜92年7月16日)。
10月1日 消費税見直しによる寄宿料値下げ実施。
1992年
7月16日 万波通彦、学生部長に就任。